かつては、「日本のお家芸」といわれた女子バレーボール。いつのころからかメダルが遠のき、シドニー五輪では出場権すら手に入れることができなかった。しかし、昨年行われたアテネ五輪に向けての全日本チームは、実に素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。メダルこそ逃したものの、強い女子バレーの復活を示した戦いぶりは、多くのファンを魅了した。なかでも、主将としてチームを引っ張っていた吉原知子さんの奮闘ぶりには、目を見張るものがあった。全日本チームだけでなく、国内リーグにおいても常にエース、キャプテンとしてコート上でチームを牽引し続けている吉原さんとともに、「リーダーシップ」について語り合った。

吉 原平尾さんは、日本代表の監督をされていた時に、どういうチーム作りをしていたのですか。

平 尾そうですね、僕はまず日本が勝てる要素をいろいろ考えました。だけど、体格では優位に立てない。おまけに強豪国は、小学生のころからラグビーをやっているのが当たり前です。ところが、日本の選手を調べてみたら、約60%が高校生になってからラグビーを始めたと回答してきました。これでは、とても勝てないだろうということがわかりました。

吉 原 確かに、バレーボールなどと比べると、ラグビーは幼いころから馴染みのあるスポーツというわけではありませんね。体格的な差も、大きなハンディになる。それでも、国際舞台で戦うには、どこかで優位な部分を見出さないと勝負にならないですよね。

平 尾 そう。だから、情報収集をして徹底的に分析、解析を行ったんです。そのために、総勢60名の専門スタッフを集めて、テクニカル部門を作りました。今はサッカーや他のスポーツでも当たり前ですが、当時はまだどこもテクニカル部門を持っていなかったと思います。

吉 原ラグビーはかなり早かったんですね。バレーボールの場合は、ここへきてようやくテクニカル部門を持つようになりました。

平 尾
相手チームの選手の細かい癖から、レフリングの傾向まで、あらゆることを調べました。それまでは、コーチの経験などから戦術を立てていましたが、僕はそれにデータから得た情報をプラスしたわけです。
 それと平行して、チーム作りで大切にしていたのが、選手の自主性、主体性ということです。先ほども話しましたが、僕は代表監督をしていた当時、すでに「選手は監督の言うとおりにやっていればいい」という時代は終わったと感じていました。「自分のために、自分たちがやるんだ」という意識を徹底できなければ、世界への壁を乗り越えられないだろう、と。だから、選手には「酒を飲むな」「たばこはやめろ」「門限は何時」といったことは、いっさい言いませんでした。本来、「勝ちたい」「強くなりたい」と思ったら、ごく自然に自ら「酒は飲まない」「たばこはやめよう」と、決めるものだと思っていますから。

吉 原 それに、監督がどんなに「お酒を飲むな」と言ったり、規則を作ったところで、飲む人は隠れても飲みますからね。

平 尾そうなんですよ。規則で縛ろうと思ったら、24時間、選手を監視していなければならない。そんなことは、とてもできませんからね(笑)。

吉 原 そうなんですよね。

 

●プロフィール
吉原知子(よしはら ともこ):バレーボール選手 パイオニア・レッドウィングス所属。
1970年、北海道生まれ。180cm、61kg。中学からバレーを始め、北海道の妹背牛商高校を卒業し、1988年に日本リーグの名門、日立へ入社。95年にはイタリア・セリエAへ移籍、イタリアのオールスターゲームにも出場する活躍。帰国後、ダイエー、東洋紡に所属し、02年より現在のパイオニア・レッドウィングスへ。全日本として92・96・04オリンピック、90・94世界選手権、91・95・03ワールドカップなどに出場。04年のアテネでは主将としてチームを牽引。視野が広く、相手を攪乱させる巧みな技を持つ日本一のセンタープレーヤー。

●撮影/奥田珠貴


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