学校スポーツが、新しい局面を迎えている。これまでは道徳教育をその意義の中心としてきたが、ここにきて判断力やコミュニケーション能力など社会人として求められる重要な能力を養う場として見直され始めている。とくに、ラグビーは1チーム15人という構成や、各プレーヤーが瞬間、瞬間の判断力でボールをつなぐという競技上の特性から、社会人として重要なインテリジェンスを身につけるスポーツであることが語られ始めてきた。学校スポーツとしてのラグビーに新たな期待が生まれている反面、中学・高校という難しい年代の指導についてSCIXには実に多くの悩みや疑問の声が寄せられている。そこで今回は伏見工高時代の同友であり、現ラグビー部監督の高崎利明氏をお招きし、高校スポーツに求められるコーチングについて話を伺った。

平 尾これはラグビーだけではなく、日本のスポーツ全体を考えた場合のことだけど、選手にもっと主体性を植え付けないといけないんじゃないかと思っている。クラブチームは枠組みがものすごく柔らかいだろう。SCIXもクラブチームだから、たとえば練習を休みたければ誰に気兼ねすることもなく休める。実際、ケガや病気という理由がなくても、「休みたい」というだけで練習に来ないということだってある。でも、それじゃあダメなわけでね。どんな状況でも練習には出るという主体性を植え付けてあげないと。

高 崎学校の部活動を見てみると、しっかり活動しているところでは、練習をさぼる生徒はそう多くはいないと思う。ただ、これは表現的には好きではないけど、上から押さえつけられているという面もあると思う。

平 尾監督や先輩に強制的に練習をやらされているということだろう。僕らの時代もそうだったけど、学校の部活は枠組みがキツイからね。先輩後輩の関係もあるし、学校の先生が監督をしていたりして、枠にガチッとはめられていて、練習を休むというのは非常に困難な状況だった(笑)。休んだからといって単位が取れないとか、卒業できないというわけではないんだけど、「休んではいけない」という暗黙のルールがあって、今日は練習に行きたくなないと思っても、なかなか休めなかった。だから、仕方なく練習に出るというパターンは、多かれ少なかれあるように思うね。

高 崎ただ、指導ということから考えると、強制しすぎたり与えすぎたりすると育たない部分も出てくる。とくに主体性を植え付けるにはマイナスに働くことが多いと思う。

平 尾実はそこが、日本のスポーツ全般にいえる欠点のひとつだと思うんだ。もちろん、監督や先輩に強制的にやらされて効果が出るという部分もあるだろうけれど、それがメインになっているうちは本当の強さは身につけられない。「先生や先輩に怒られる」ということとは関係なく、そのスポーツにしっかり取り組もうという強い意欲が持てるようにならないと、いつまでたってもスポーツは文化として認められない。実は高崎も知ってるように、日本のスポーツというのはまだまだ文部科学省の管轄で、文化庁の管轄ではないんだよね。つまり、スポーツはまだまだ「教育」という意味合いが強いということ。しかも、その教育が何かといえば、忍耐力とか協調性というのがメインになってる。その意識を取っ払うことができないと、いつまでたっても上から強制されるという部活を取り巻く環境は変わらない。

高 崎そうだね。ただ、いろいろな競技のさまざまな指導者と接してみると、今のような話をまったく理解できないという人も少なくないけど、若い指導者のなかにはそれを理解して取り組んでいる人も結構いることは確かだね。

 

●プロフィール
●高崎利明(たかさき としあき):京都市立伏見工業高等学校ラグビー部監督
1962年、京都市生まれ。伏見工から日体大へと進み、スクラム・ハーフとして活躍。高校時代は平尾誠二と同期でHB団としてコンビを組み、高校3年のときに第60回全国高等学校ラグビーフットボール大会で優勝を果たす。大学卒業後、中学校の保健体育の教諭として8年間、教壇に立つ。94年、恩師である山口良治氏からの誘いを受け母校伏見工に戻り、ラグビー部コーチに。98年に山口氏の跡を継ぎ監督に就任、2年後の第80回大会で優勝。高校日本代表監督なども務め、若手選手の育成に尽力している。

 

 
 
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