佐 野ルールとともに「道具」も変わったのだと思います。たとえばテニスは、明らかに道具が変わりました。その結果、昔のように綺麗なスイングでレシーブをするという姿ではなくなりました。今は(時速)200kmのスピードでサーブをするので、サーブでどんどん勝てる。昨年のウィンブルドンでも、イワノセビッチはサーブだけで勝った。それではゲームが面白くなくなったというので、サービスを2回ではなく1回でポイントにしようという議論も起こっているのですが、そういうルールの変更論争はやはりあるのです。僕は時代ごとにルールを絶対変えてはいけないとは思わない。全部が全部、昔のルール通りにやらなければいけないという議論をしてもしょうがない。たとえばゴルフなどもそうですが、最近は道具がどんどん良くなったこともあって、昔とは全然距離が違う。そういうものが一つづつ変わっていく時に、我々はそれを取り入れ、それに合った技術を考え、いろんな知恵を絞っていくと、昔あったゲームとは違った結果が出てくる。だから、ゲームは元に戻せばいいというものではない。そうした変化の中で、新たな経済のルールとか、スポーツのルールとかいろいろなことを考えていかなければいけない。

平 尾僕もその通りだと思います。

佐 野ところが、それが何であるかはということについては、実をいうと今、平尾さんが指摘されたバレーボールのように、「このルールはおかしいのではないか?」ということを、我々は上手く言い切れていない。たとえば「特許権の問題についてどう考えるのか」とか「知的所有権問題の中におけるコンピュータソフトウェアについてはどう考えるのか」「情報はどこまで見せてもいいか、見せないかという方法をどうやったら作れるのか」とか。スポーツを例に挙げれば、あるフォーメーションのデュレイションを上げるためにどうするかとかですね。そのためには、どこにカメラを置いてもいいのかとかですね。もし、全部にカメラを置いてビデオに撮れるようになったら、対応が簡単です。それがなければ自分たちの目だけでやるわけですから、そう考えるとかなり時代は違ってくる。「どこまで、何をやるのか」については時代の変化があるので、これはかなり貧富の差を広げることになると思います。

平 尾なるほど。

佐 野たとえば、あるサッカーをする国が、そういうビデオを作れなかったとします。そういう国がワールドカップに出るとしても、何をどうやったらいいかわからない。ところが、お金のある国はチームや選手の情報をどんどん買って、一人一人について対応できる仕組みを作れる。情報というのは、ある意味でそういうところまで変わってきている。その時にどういう市場原理が働いているのか、スポーツで言えばどういうゲームをやるのかということについて、我々はただおろおろとするのではなく、大事なことはいったいこのゲームをどうしたらいいかと自分たちは考えているかを、まず整理しないといけないのです。残念ながらその整理が日本はまだ出来ていない。いろいろな意味で、なかなか出来ないでいるのです。

平 尾そうですね。

 

 
 
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