日本社会は今、大きな曲がり角を迎えている。戦後の繁栄を支えてきた経済が急激な低迷を見せているように、グローバル化社会の中で従来の日本型手法や発想があらゆる場面で行き詰まりを見せている。そうした状況は政治・経済だけでなく、スポーツの場においても同様である。従来、日本のスポーツは一種の国民性でもある繊細さや俊敏さを生かした技術で世界と伍してきたが、体力に勝る諸外国が日本のお家芸でもある技術を模倣し始めたためにオリジナリティを失い、ボールゲームを中心に低迷を続けている。日本経済を支えてきた技術が世界にとって変わられた現象と同様のことが、今、日本のスポーツ界にも起こっている。今回はそうした認識を背景に、日本の経済とスポーツが共に陥っている現象、ディフェンスからいかにターンオーバーの術を探るか、そのための新たな発想とは何か、また日本経済再生のためにスポーツの果たし得る役割とは何かなどについて、経済の専門家である経済産業省通商局長、佐野忠克氏をお招きして語り合っていただいた。

佐 野最近日本では産業の空洞化と言われるように、急激に中国や東南アジアに日本の企業が移ろうとしています。これにはいろいろな議論があって、一つには中国や東南アジアの賃金水準が日本の20分の1、30分の1であることが大きな要因のように言われていますが、実はこの賃金水準は最近そうなったわけではなくて、以前からずっとそうだったのです。それでも、日本企業は国内で生産し、国内で頑張ってきた。海外に行こうという動きはなかった。それがなぜ急に、こぞって行こうとしているかというと、先ほどの言葉で言えば「グローバリゼーション」です。グローバリゼーションの大きな流れの一つに情報の流れがあって、これが非常に速くなった。日本の市場がどうなっているかが、海外にいてもすぐに分るようになったのです。それによって、海外に拠点を移しても国内にいる時と同じようにすぐにレスポンスできるようになった。その結果、ファッションの分野で言えば、どんなに流行が変わっても海外ですぐに作れるようなり、国内で生産する必要性がなくなった。合わせて物流も変わった。これは平尾さんも、神戸で震災があったことで、よくご存知だと思いますが、世界的に港の設備が良くなり、神戸の港が世界一と言われるような時代ではなくなりました。そうしたことから、中国や東南アジアから日本に物資を持ってくるのに、コンテナの輸送が非常に楽になった。こうしたこともグローバリゼーションの流れの一つということで、海外移転に伴うリスクが非常に低くなってきたのです。

平 尾なるほど。単に情報の流れが速くなっただけでなく、グローバル化に伴う流れとして物流のインフラ整備などもあり、産業や経済のグローバル化に一層拍車がかかっているというわけですね。

 

●プロフィール
佐野忠克(さの ただかつ):1945年7月10日、神奈川県生まれ。
69年、京都大学法学部卒業後、通産省(現経済産業省)へ入省。通商局通商政策課を皮切りに主に政策畑でキャリアを積む。78年には基礎産業局で鉄鋼産業の通商にも携わる。89年からは通商局で西欧アフリカ中東課長、欧州アフリカ中東課長、産業構造課長などを歴任。93年には総理府内閣総理大臣秘書官、94年には通商政策局国際経済部長、98年には貿易局長、99年には大臣官房長を経て、01年1月より経済産業省通商政策局長を務める。

 

 
 
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