98年にはサッカー日本代表を率いてアジア最終予選に臨み「ジュホールバルの奇跡」で悲願のワールドカップ出場を果たす。その後、JリーグではJ2コンサドーレ札幌を率いて、見事2年でJ1昇格。現J1横浜Fマリノスでは、2年連続でリーグ戦制覇。今季も3年連続Vに挑むサッカー界の名将・岡田武史監督。その鮮やかなキャリアの裏側で“日本一の指導者”として何を学び、何に苦しみながら、コーチングの奥深さと対峙してきたか。同じ関西出身で「ヒラオ」「オカダさん」と呼び合う仲のお二人に、じっくりと語っていただいた。

平 尾岡田さんが最初にコーチをされたのは古河電工時代ですね。現役を辞められてコーチに就任されていますね。「コーチを」と思われたのはどういうことがきっかけだったんですか?

岡 田ちょうど33〜34歳のときだったと思うんだけど、それまでのコーチの人が監督になるというんで「お前、コーチとして彼を手伝ってやってくれないか」と会社に言われたんだね。

平 尾年齢的にも現役を続けるのは厳しい時期ですね。

岡 田
ただ、そのときはまだ現役を辞めるつもりはなかったんだよ。自分では「まだできる」と思っていたから。でも、会社は「日本代表候補に入っている順天大のディフェンスを取りたい」と。彼が「岡田さんがいたらゲームに出られないと言っている。だから、コーチでどうだ」と。それを聞いて「冗談じゃない!」と思ってね。「そんなことを最初から言っているような選手は絶対だめだ」と言って意地でも辞めるもんかとね(苦笑)。

平 尾いかにも岡田さんらしい話ですね(笑)。

岡 田そうだろう(笑)。でも、年が明けて、「バイエルン・ミュンヘン」というドイツのチームがきたんだよ。で、日本リーグ選抜が試合することになって、僕がキャプテンやることになった。結果は1対1の同点だったんだけど、ゲームが終って記者会見に出たら「いや、いい試合でしたね」と記者の方に言われてね。でも、やっている本人にしてみれば、何が「いい試合」だったのか少しも分からない。上手い下手とかではなくて、次元の差を感じたんだね。

平 尾なるほど。

岡 田それまでは「自分はまだ上手くなれる。いつか、海外の一流チームにも追いつける」という気持ちがあったんだけど、その試合ら関しては「オレはどれだけやってもこいつらに追いつけないな…」と思った。(カール=ハインツ)ルンメニゲだとか(クラウス)アウゲンターラーだとか、当時の一流選手がまだいたころで、「どれだけやっても、こいつらには追いつけないな」と。そう思った瞬間に、スッと何かが切れちゃったんだね。それで「じゃあもういいや、コーチをやろう」と。

 

●プロフィール
岡田武史(おかだ・たけし):サッカーJ1 横浜F・マリノス監督
1956年8月25日、大阪府出身。大阪天王寺高校から早稲田大学、名門・古河電工に進み、クレバーなプレースタイルのDFとして活躍。指導者としてはジェフ市原コーチを経て日本代表コーチに就任。97年W杯フランス大会を目前に代表監督に抜擢され、見事日本を初のW杯に導く。JリーグではJ2のコンサドーレ札幌を率いて、2年目に優勝しJ1昇格を果たす。03年シーズンからJ1横浜F・マリノスを率い、1年目の両ステージ制覇を含む2年連続優勝を成し遂げる。理論派でありながら、闘志も重視する情熱家。勝負に挑むリーダーとしては覚悟も勝負勘も備える名将である。

撮影:荒川雅臣


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