平 尾それも岡田さんらしいエピソードですね(笑)。で、ドイツに留学されるのはその1年後になるのですか?

岡 田いや、正確には2年後なんだけど、あれは留学というよりも、オレが逃げたんだよ。

平 尾なんですか、それは?

岡 田チームも新しい監督に、最初は手探りだからコーチの自分にほとんど任されたんだよ、練習もミーティングも。それで「よっしゃ、それなら自分が選手時代にやって欲しいと思っていた練習をしてやろう」と思って、それを実行したわけだね。それで、ある程度はポーンとチームも伸びたんだけど、それから全然伸びなくなってしまった。それで、自分自身が行き詰ってどうしていいか分からなくなってしまった。毎日が苦しくて、苦しくて……、「このまま、ここでズルズルとやっていたら、自分自身がだめになる」と思って、何とかこの現場を離れなければいけない、と。それで、どうしたらいいかなあ……と思って、ダメでもいいから「ドイツへ留学させてください」と会社に直談判してみたんだ。それも「1か月や2か月ではダメです、1年行かせて下さい。だめだったら僕は会社を辞めても自分で行きますから」と言ったら、行かせてくれた。

平 尾
それもすごい話ですね。

岡 田だって、オレらはサラリーマンだから、「充電します」と言って給料をくれる会社はないよ。でも、「留学します」と言ったら、給料は出してくれる。向こうも、どうせハッタリだと分かってはいたんだろうけど、いい会社でね、ドイツ行かせてくれた。

平 尾そうでしょうね(笑)。で、どうでした、ドイツのサッカーは?

岡 田それはよかったよ。これだけの情報化社会だから、練習やトレーニングに関しては、特別変わったことはなかったけど、一番勉強になったのは「監督と選手の対場の違い」があること、ある一線が必ずそこにはあるんだということを学んだね。だって、ぼくらが日本代表のころは、まず合宿に集まったらその夜に監督と選手が宴会やって、ワーッと盛り上がって「さあ、やるぞ」という時代だったからね(笑)。

平 尾当時はどこにでもある光景でしたね。

岡 田ところが、ドイツでは監督は選手と一緒に酒なんか飲まない。今では僕もそうなんだけれども、そういう立場の違い。選手がこうして欲しいというのと、チームが勝つのとは違うんだ、と。例えば人間は誰でも、いろいろな人に好かれたいとか、いい人に見られたいというのがあるよね。でも、監督が選手に好かれようと思ったり、嫌われたくないとか、いいように見てもらいたいとか思ったらやっぱりダメなんだね。そこに立場の違いというか、それよりも嫌われてもいいから「チームが勝つためにはどうするのだ」ということがある。それを最優先にすべきだということ。

平 尾まず、チームの勝利がありきで、そのために選手とはどう接するかというわけですね。

岡 田うん。でも、当然情の面もあるよ。選手を扱うときに平等というのはありえない。でも、公平に扱ってあげなければいけない。その公平に扱おうと思うとどうしても一線を引かないと、やっぱり扱えないんだよ。酒飲んで、一緒にカラオケ歌って、翌日「はい、お前首」というのは、オレはよう言わんからね。だから、仲人も絶対しない。選手の仲人をして、親御さんたちを知っていて、翌年、首にはようしないもん。おれ浪花節やから。自分の弱さ知っているからね。その一線を、ドイツではものすごく感じたね。監督の強さというかね。

平 尾で、ドイツから戻られてきたら、ちょうどJリーグの開幕だった。

岡 田日本に戻ってから、何か予選の解説してくれというで、ヨーロッパを回って帰ってきたんだ。そうしたら川淵さんがJリーグの開幕戦の東京ヴェルディと横浜マリノスの試合を女房と2人招待してくれてね。行ってみたらスタンドは満員で、みんな旗を振って、歌を歌っている。「これは、いったいなんだ!」と。たった1年前には、スタンドから「お父さ〜ん!」と呼ぶ声に手を振って、「おう」と応えていたのに、どうなったのかと思ったよ。本当に、ビックらこいちゃって(笑)。それで、僕もその翌年かな、プロのコーチになった。

平 尾じゃあ、開幕の年には古巣の古河工業も「ジェフユナイテッド市原」に変わっていたわけですね。

岡 田そうそう。ジェフのサテライトも、若手の方も監督にチェコ人がいて、そこのコーチやってくれと言われたので、コーチをやっていた。

平 尾プロのコーチとしてですか?

岡 田正式にはその年の終わりだったと思う、契約したのは。そうそう。今の家を買って、11年になるから、そのローンを組んでいるときにプロになったんだ。

平 尾今の家ですか。

岡 田そうそう。それが新聞に小さく出たんだよ、プロ契約したということが。それを銀行が見とんやね! それで、会社を辞めたらローンはおりないと言い出した。要するにオレ個人には信用がないわけ。サラリーマンだから貸したんだというわけ。それで先方は「契約書をもってきて下さい」というんだ。で、それを持って行って「1年契約です」と言ったら、「これじゃー」という話になってしまった。もうこっちは土地を買っているのだから、「家を建てなどうするねん!」という話になって、たまたま第一勧銀の審査4部に大学の同期の人間がいたから、電話して「頼むから、何とかしてくれ」と。で、ようやく3か月遅れくらいでおりて。要は銀行は、岡田というの個人にではなく、会社に対する信用なんだね。それで今になったらペコペコしよる。

平 尾そんなもんですよ(笑)。

 

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