平 尾「ひらめき」というと、なんとなく「勘」みたいなものだと思われる方が多いけれど、そうじゃなくて、今までに集積されてきたこと、学習されてきたこと、経験してきたことが集約されているわけですよね。何の経験も学習もしていない人が、いきなり「ひらめいてできた」なんてことはないでしょう。

松 尾そうなんです、そんなことはあり得ない。ともかく、「無」から「有」というものは出てきません。

平 尾そうですね。

松 尾私は、そう信じているんですよ。だからこの頃は、たとえば理系の学生ならば、理系を学ぶために必要な基本的なことで、遅れているところがあれば徹底的にやらせます。物理の最低限のこと、数学の最低限のことを知っていなければ、新しい発想は出てきませんよ。そのうえで、私なりの言い方をすると、「ひたすら知識を詰め込んでいけ」ということになります。

平 尾ほう、「ひたすら詰め込め」ですか。おもしろいですね。

松 尾ともかく、知識というものは雑多なもんです。乱読でも、乱学でも何でもいいから思いきりやって、頭の中にワーッと詰め込んでおく。べつに、整理ダンスを作って、項目分けして、知識を整理整頓なんかしなくていいんです。もちろん、そういうタイプの秀才はたくさんいますよ。何か課題を与えたら、その引き出しから必要な知識を出して無難にこなすというタイプですね。でも、それではダメなんです。むしろ、知識を非常に不安定な状態で頭の中に詰め込んでおくことが、僕は大事だと思います。頭の中をそういう状況にしておくと、何かをしなければとか何かを作ろうというときに、今まで乱雑で不安定であった知識が、面白いようにグーッとつながっていくんです。そのときに、非常に大きな快感が味わえる。

平 尾「ああ、こういうことやったんか」と、思えるようなことですね。僕も、スポーツ上の自分の経験と、まったく別の分野の知識とが結びついて、「なるほど」と深く理解したり、新たな発想ができたりすることがあります。

 

 
 
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