SCIX Special InterviewVol.1 [後編]


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株式会社今治.夢スポーツ代表取締役会長
サッカー元日本代表監督

岡田武史さん

ミスターラグビーこと故・平尾誠二氏と熱く語り合ったスポーツを通じた社会変革。指導者から経営者に、四国・今治でサッカークラブ運営に取り組むサッカー元日本代表監督・岡田武史氏が、新たなスポーツビジネスの在り方として提示する“今治モデル”はどこまでスポーツ界を、そして社会を変えるかー。

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後編
視察レポート

残業は20時まで。その後は今治の街に出て行って、友達を毎日5人作ろう!―。地道な取り組みがようやく理解され、地元の大きな企業も支援に乗り出してくれた

──岡田さんの夢に共感する人が増えてきたわけですね。

岡田:

うちの会社には「ハッピーノート」というのがあって、嬉しいことがあると社員がその出来事を書いて、みんなに読んでもらうというノートなんだけど、そこにこんなことが書いてあった。昨シーズンの開幕戦の出来事なんだけど、社員が観客席を回っていたら、ゴール裏で泣いている年配の人がいたと。びっくりして「どうしたんですか?」と声を掛けたら「3年前、岡田さんが今治に来た時は、みんな、岡田さんたちの取り組みには否定的だった。私の周りもみんなそうだった。ところが3年経ってみたら、開幕戦がこんなに大勢の人で埋まっている。こんな姿が今治で見られるなんて、ほんとに嬉しくて」と言って泣いていましたと…。それを読んで、ああようやく今治での取り組みも動き出してくれたかと感慨深かったね…。昨シーズンの最終戦も、すでにJ3への昇格はないことが分かっていた試合だったんだけど、それでも3,500人を超える観客が入ってくれた。僕はホームゲームではいつも、出口に立って観客の皆さんをお見送りするんだけど、その日もみんなが「楽しかったよ、また来るから!」って言ってくれてね…。

──今治の皆さんの共感を得るまで3年かかった、と。どこかターニングポイントになるようなことがあったんですか?

岡田:

一言で言うと、自分たちから今治の人たちの中に飛び込んで行ったということだろうね。今治に来た当初は、自分たちもそうかも知れないんだけど、今治の人たちも、どこか斜に構えているところはあったね。「どうせ有名人が来て、すぐ帰るんだろ?」くらいに思われていたと思う。だから、本当に最初の頃は苦労したよ(苦笑)。最初のシーズンは、今のFC今治の練習場になっている「桜井海浜ふれあい広場サッカー場」に2,000人の観客に集まってもらったんだけど、雨が降ると900人ぐらいになってしまう…。これは何とかしなければというんで、僕も車にポスターを貼って市内を走り回ったり、ビラを配ったり、色んなことをしたんだけど、集客には結びつかなくてね…。ある時、ふと、「俺たち、ここへ来て2年になるけど、今治に友達っているかな?」と思って、スタッフにも聞いてみたら「います!」という返事が誰からも返ってこない。なぜなら自分たちは、FC今治で集まって仕事をして、練習や試合が終わったらまた集まってミーティングして、それが終わったらみんなで集まって夕飯食べて……という繰り返しだから、街へ出て行って友達を作ったりなんて時間のある者は誰もいなかった。「それじゃあ、だめだろう! もっと自分たちから出て行って、FC今治のことを知ってもらうようにしないと、人なんて集まってくれないだろう!」ということで、それからは残業は20時までにして、その後は街に出て行って、「毎日、一人5人の友達を作ろう!」ということをやった(笑)。そういう地道な活動をしていったことによって、周りからは絶対に無理だって言われてた5,000人収容のスタジアムもできたし、今年の開幕戦でも5,200人を超える観客の皆さんが集まってくれた。

──そうした地道な取り組みが「複合型スマートスタジアム」の建設にもつながるわけですね。

岡田:

そう。さらにここへ来て有り難いことに、地元の大きな企業もFC今治を応援しようと言ってくれるようになった。FC今治がここまで頑張ってくれているんだから、「これからは自分たちが、このクラブを支えないといけないだろう!」と言ってくれて「今治造船」であるとか、「日本食研」、「渦潮電機」、「潮冷熱」といった地元の大きな企業がFC今治に出資してくれる予定だ。今度の「複合型スマートスタジアム」の建設には50億円ほどの費用がかかる予定なんだけど、「その半分近くは我々、地元の企業でなんとかしよう」と言ってくれている。ようやく、今治全体が動き出して、応援してくれるようになってきた。4年経って、ようやく動き出したかなって感覚だね。

「孫の手活動」や「子ども食堂」など数字には表れない活動にもプロフェッショナルとして取り組み、物の豊かさよりも心の豊かさを大切にする社会創りに貢献するー。

──4年経ってようやく動き出したとのお話ですが、今後の課題を挙げるとしたらどんなことになりますか?

岡田:

まず自分たちが先頭に立って、今治を牽引していくのと同時に、あまり前を走りすぎて今治の人たちが置いてけぼり感を持つようじゃいけないから、そこはちらから今治の皆さんの中に入っていくことの両方やらなければいけないと思ってる。今、僕らは地元の人に力になれるような活動ということで「孫の手活動」というのをやっててね。今治のおじいちゃん、おばあちゃんたちが何か困っていることがあれば、育成チームのコーチと選手たちが出かけて行ってお手伝いするという活動を月に1回やってるんだよ。この間は僕も行ったんだけど、裏庭の木が陰になってるから切って欲しいという要望があって、軽トラにチェーンソーを積んで行って、伐採してきたりね。もちろん無償でやってるんだけど、今度は「子ども食堂」をやる計画も進んでいる(笑)。

──「子ども食堂」ですか?

岡田:

そう! さっきも言ったように、僕はスタジアムを地域の人々が集い、触れ合える場所にしたい。地域ににぎわいを作る場所にしたいと思っている。その一方で、未来を担う子どもたちが、貧困でご飯もろくに食べられない子どもたちがいる。お金や家庭環境の問題で社会から、弾かれようとしている子供たちがいる。せっかく50億円もかけてスタジアムを造ろうとしているのに、そうした子供たちが安心して集えるような場所でないと意味がないということで、「子ども食堂」をやりますと、今年2月の「2018シーズン方針発表」の席上で、社長にも誰にも相談せず発表してしまった(笑)。

──確か、チームの成績や観客動員数のように、「数字には表れないけど、今治の皆さんに認めてもらえて、愛してもらえるような活動も、プロフェッショナルとして取り組んでいきたい」という宣言でしたね。

岡田:

そう。僕は社員にはいつも、我々の事業というのは、社会の皆さんに「認めてもらって」、「愛してもらって」、「お金を払ってもらって(購買)」、「リピートしてもらう」の4段階だとういうことを言っている。それでいくと、まず認めてもらわなきゃいけないというところは、ようやく認めてもらえるようになった。次は、愛してもらわなきゃいけないという段階に入るんだけど、そのために我々の企業理念である、「物の豊かさよりも心の豊かさを大切にする社会創りに貢献する」ということが大事になってくる。「心の豊かさを大切にする社会」というのは、売り上げとかGDPとか、貨幣金融経済の目に見える資本ではなく、「信頼」とか「感動」「共感」といった、目に見えない資本を大切にする社会のことなんだけど、そういう社会を創っていこうと。実際、我々には「夢」とか「感動」とか「勇気」といったものしか売るものがないんだから(笑)。そういった目に見えない資本を提供して、目に見える資本が戻ってくる循環を作ろうと。そういう意味で、今年が大きなターニングポイントになると思ってる。

──「岡田メソッド」の普及、指導者育成についてはどういった構想をお持ちですか?

岡田:

「岡田メソッド」については、選手の育成法だから紙には落とせないようになっている。だから、うちにきてメソッドを習得してもらうしかない。メソッドを習得したコーチが、他のチームに高く買われて行くようになれば、世界にドンドン広まっていくと思っている。だから、うちの育成のコーチには「FC今治のコーチを引き抜いたら間違いない!って言われるように、早く優秀なコーチになって引き抜かれて行ってくれ!」と言っている。「そうでないと、お前らの給料が年々上がっても、育成予算は決まっているから払えなくなるぞ!」と(笑)。

リーダーとは、私利私欲のない志高い山に、リスクを負って、必死に登る姿を見せられるかどうか。その後ろ姿が見せられれば、志を同じくした仲間はついてくるー。

──会社運営についてはいかがですか?

岡田:

バックオフィスについても同じことを言ってるよ。今年は「プロフェッショナル」をキーワードにしててね。プロフェッショナルっていうのは、成果を出しながら成長しないといけない。だから、同じ仕事をしながら5年もこの会社にいます、という人はいらない。仕事を通して成長して、自分で起業するなり、引き抜かれていく、でもまた戻ってきて一緒にやると。そういう循環を考えている。だから、選手と同じようにバックオフィスも全員契約にしようかと思っていてね(笑)。役職もなくして、選手と同じようにフラットにして、キャプテンとヴァイスキャプテンだけがいる、みたいなね。それでみんなが、この会社で働いているのが「楽しくて仕方ない!」。出て行っても「また戻ってきましたー!」って平気で言えるような会社にしたいね(笑)。だって、もともと儲けようと思って、この仕事を始めたわけじゃないからね。「世の中変えたい!」って想いでやってるから、普通の会社みたいにして、ただ利益を上げていくだけでは、面白くもなんともないよね。スタッフにもそれぞれ生活や家庭があるから、会社をつぶすようなことになっちゃだめだけど、みんなが「この会社最高に面白い!」と思えるようなものにしてやろうとは思ってる。

──岡田さんの考えるリーダーやリーダーに必要な資質とは何だと思われますか?

岡田:

まずリーダーというのは、夢を語れて、それにリスクを冒してチャレンジできるかどうかだと思うね。例えば、うちのバックオフィスの連中は、金融業界だとかコンサルティング業界だとか一流企業の安定した仕事を捨てて、いつつぶれるかわからないような会社に来てくれている。そういう意味では彼らもめちゃくちゃリスクを負ってるわけだけど(笑)、なぜそこまでの決断をして来てくれたかというと、僕が「10年後にJ1で優勝するチームにする」とか「10年間で年間予算30億円のクラブにする」とか大きな目標を掲げているから、そこに夢を感じて集まって来ているとかだけじゃなくてね、この社会を変えていきたい、この国を良くしたいという想いに、共感してくれたからだと思っている。だから「次世代のために、物の豊かさより心の豊かさを大切にする社会創りに貢献する」という企業理念を掲げているわけなんだけど、同じ想いを持ってくれている同士を途中で見捨てるわけにはいかないから、まず自分がリスクを冒してでもチャレンジしていく。私利私欲のない志高い山に、まず自分がリスクを冒してでも、必死になって登っていく。その後ろ姿を見せることができれば、みんなも「このオッサンについていこう!」と思ってくれるし、それができるのがリーダーだと思う。聖人君子とか、頭がいいとかそういうことじゃないんだよね(笑)。

──私利私欲のない志高い山に必死に登る姿を見せられるか、ですか…?

岡田:

そう。例えば、坂本龍馬はリーダーについての勉強なんか何もしてないよね。ただ、「この国を何とかしたい!」という想いで命を懸けて行動したから、みんながついてきた。マネージメントがうまかったとか、そういうことではなくて、私利私欲のない志高い山に、必死になって登る姿を見せた。だから、みんながついてきた。僕が代表監督の時も、どん底を経験してるけど、それでも選手たちはみんな必死になってついてきてくれたのは、それだと思う。あの時に僕は、日本代表チームがどうやったら勝てるかを、世界中の誰よりも考えていた自信がある。本当に寝ないでやっていたから。その姿を、選手たちも見ていたから、みんながついてきてくれて、フランス大会では本大会出場まで行けたし、南アフリカ大会でもベスト16まで行けたと思っている。ただ、今治に来てからは、ワクワクして楽しいからやってるだけなんだけど、リーダーとしてのリスクはめちゃくちゃ負ってると思うよ(笑)。

──最後にSCIX理事長の平尾氏とは、いつもどんな夢を語り合っていたのか教えて下さい?

岡田:

平尾は「岡田さんと真顔で“夢”を語るなんて、かっこ悪い…」と思っていたんじゃないかな(苦笑)。だから、二人で話をするときは冗談ばっかりで、馬鹿話の方が多かったよね。それでもお互いに、何をやろうとしているのかには関心を持ってたし、それがいずれ、スポーツ界や文化や社会を変えていくことに繋がっていくだろう。それが壮大な夢であっても、きっとその道に突き進んでいくだろうなということは、お互いに理解し合っていたと思う。だから、「感謝の集い」でも言ったけど、彼と一番最初に会った時に、平尾が「岡田さん、僕はスポーツから社会を変えたいんですわ!」と言った一言が衝撃的だったし、今でもその時の場面が鮮明に浮かぶほどよく覚えてるよ。結局…、その一言が今、僕が今治でやってることにも繋がってると言えるよね。


視察&インタビューを終え、対応してくれたスタッフにこんな問いを投げ掛けた。「仕事を辞め、生活を一新してまで岡田氏のもとで働こうと思った理由は?」。すると彼は「リスクを背負って仕事をすることに意味がある」と、岡田氏と同じ言葉を口にした。岡田氏のビジョンに心踊らせ、胸を熱くし、岡田氏のフィロソフィーに共感し、岡田氏のDNAを受け継いでいる。岡田氏が真のリーダーたる所以を見た。

岡田武史(おかだ・たけし)氏

FC今治/株式会社今治.夢スポーツ代表取締役会長 1956年8月25日、大阪府出身。大阪天王寺高校から早稲田大学、名門・古川電工に進み、クレバーなプレースタイルのDFとして活躍。指導者としてはジェフ市原コーチを経て、日本代表コーチに就任。'97W杯フランス大会目前で代表監督に抜擢され、日本を初のW杯に導く。その後Jリーグでは、J2のコンサドーレ札幌を率い、2年目に優勝しJ1昇格。’03シーズンからはJ1横浜F・マリノスを率い、2年連続優勝を果たす。’08年から2度目の代表監督に就任し、’10年W杯南アフリカ大会ではベスト16という快挙を達成。’12年には海を渡り、中国スーパーリーグ・杭州緑城の監督に。’14から経営者の道へ進み現職に。勝負に挑むリーダーとしては覚悟も勝負勘も備えた名将。理論派でありながら、闘志も併せ持つ情熱家。

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取材・文/中野里美 構成/美齊津二郎(SCIX)