かつては、「日本のお家芸」といわれた女子バレーボール。いつのころからかメダルが遠のき、シドニー五輪では出場権すら手に入れることができなかった。しかし、昨年行われたアテネ五輪に向けての全日本チームは、実に素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。メダルこそ逃したものの、強い女子バレーの復活を示した戦いぶりは、多くのファンを魅了した。なかでも、主将としてチームを引っ張っていた吉原知子さんの奮闘ぶりには、目を見張るものがあった。全日本チームだけでなく、国内リーグにおいても常にエース、キャプテンとしてコート上でチームを牽引し続けている吉原さんとともに、「リーダーシップ」について語り合った。

平 尾アテネオリンピックでは、メダル獲得ができなかったのは残念でしたが、ファンに「強い女子バレーが戻ってきたな」と感じさせるような、いいチームでしたね。でも、日本は前回、オリンピックに出場することができなかったんですよね。

吉 原はい。1996年のアトランタオリンピック以来ですから、8年ぶりの出場ということになります。

平 尾今回の全日本チームは、オリンピックの予選も含めて、吉原さんの存在がすごく大きかったと僕は思っているんです。というのも、今の時代、監督型とかコーチ型のリーダーシップよりも、キャプテン型のリーダーシップが重要になっていて、まさに吉原さんがキャプテン型のリーダーシップを発揮していた。いろいろな年代の選手たちをまとめて、監督とつなぎ止める役割をよく果たしていたと感じました。
 今は、東京オリンピックのときの大松監督のように「俺について来い!」というリーダーシップだけでは、ほとんどチームは機能しなくなっている。昔に比べ、選手は多くの情報を持っていて、理論的にものを考えるようになってきていますからね。

吉 原 確かに、そうですね。場合によっては、監督よりも選手の方が情報を持っていたりしますから。

平 尾
そうなんですよ。海外の選手たちとのネットワークもあるし、ちょっと知りたいと思えば、雑誌やビデオ、インターネットなどによって、なんでも調べられる。それだけ、いろいろなことを知っているから、今の選手というのはものすごく理屈を求めるんです。
 ところが監督の世代というのは、精神論とか根性主義に走ってしまうことが多々あります。それは、そこに自分の成功体験があるからで、否定はできないんですよ。ただ、そのために選手との間に溝ができたりするのも事実で、これはどんな競技でも同じことです。だからこそ、選手の中のリーダーが、監督と若手選手のギャップをうまくうめてあげないと。チームの年齢層が広くなるほど、そういった役割が必要になってくる。今は、選手の中にそういう存在がいないと、なかなか勝てないんじゃないでしょうか。その点、女子バレーでは、吉原さんがよく機能していたなというのが、僕の実感です。

吉 原ありがとうございます。でも、こんなに年齢差があるチームでプレーしたのは初めてだったので、最初は「本当に難しいな」と思いました。なにしろ、若い選手たちはまだ二十歳前で、私がアトランタで戦っていたときには小学生ですから。「テレビで見てました」なんて言われちゃって(笑)。彼女たちにしてみれば、私は“テレビで見ていた人”であって、話しかけたりするのも最初は遠慮がちでした…。そういう選手たちに対して、どう接していけばいいのか悩んだ時期もありました。

 

●プロフィール
吉原知子(よしはら ともこ):バレーボール選手 パイオニア・レッドウィングス所属。
1970年、北海道生まれ。180cm、61kg。中学からバレーを始め、北海道の妹背牛商高校を卒業し、1988年に日本リーグの名門、日立へ入社。95年にはイタリア・セリエAへ移籍、イタリアのオールスターゲームにも出場する活躍。帰国後、ダイエー、東洋紡に所属し、02年より現在のパイオニア・レッドウィングスへ。全日本として92・96・04オリンピック、90・94世界選手権、91・95・03ワールドカップなどに出場。04年のアテネでは主将としてチームを牽引。視野が広く、相手を攪乱させる巧みな技を持つ日本一のセンタープレーヤー。

●撮影/奥田珠貴


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