「スポーツインテリジェンスの認知と普及」−−。これは、SCIXが設立理念として掲げている大きなテーマのひとつである。スポーツインテリジェンスとは、スポーツに関するさまざまな「知」のことであり、たとえば創造性や主体性、判断力などといったものが含まれる。私はこれまでの選手、監督の経験を通して、世界を相手に戦うためにはハイレベルなスポーツインテリジェンスが必要であることを痛感した。特にラグビーのように体格的なハンディを抱えるスポーツでは、知のスピードで相手を上回らなければ勝機を望むことさえ難しい。ところが、そのスポーツインテリジェンスが欧米のスポーツ先進国に比べて明らかに劣っているのだ。では、なぜ日本人はスポーツインテリジェンスの部分で遅れをとってしまったのか。それは、どうしたら養っていけるのか。この大きな命題について、スポーツライターのみならず音楽評論家、小説家としても活躍をしている玉木正之氏とともに語り合った。

平尾さきほど、日本人的なスポーツインテリジェンスという話が出てきましたが、それはどんなものだと考えたらいいんでしょう?

玉木たとえば、スポーツの成功例を考察するといいと思う。かつて、日本では三段跳びや体操が強かった時代があった。それは、忍者とかとび職などに見られる日本の伝統的な体の使い方やその考え方の流れを汲んでいたからじゃないだろうか、という具合に。実際、明治時代のスポーツの雑誌には、とび職の体の鍛え方や忍者の走り方などについて書かれた記事があって、欧米から入ってきたスポーツを行うために日本独自の身体運動を取り入れようとした形跡が見られる。たとえば、体操では塚原(光男)さんが「月面宙返り」を生み出したけど、それは昔から忍者がやっていた体の使い方と何らかの関係があるかもしれない。ほかにも、バサロ泳法と忍者の泳ぎ方とか、シンクロナイズドスイミングと古式泳法とか、いろいろ関係がありそうな気がする。そんなふうに見ていくと、体をどのように鍛えてどのように使うかという考え方、つまりインテリジェンスの部分は、日本的な土壌からもまだまだ発見できるんじゃないか。また、それらを称して「日本人的なスポーツインテリジェンス」という言い方もできるのではないか、と。

平尾確かに、そう考えると埋もれているものが、まだまだありそうな気がしますね。

玉木なかには、偶然成功したという例もある。たとえば、日本は昔から「水泳ニッポン」と呼ばれるほど競泳が強かった。これは日本が海に囲まれているからだという、いかにももっともらしい説があるけど、考えてみれば競泳はプールの中で競うんだから、そんなのは関係ない(笑)。では、なぜ強くなったのかというと、実は明治時代に日本に入ってきたスポーツというのは、どんなものもみんな猛特訓でお家芸にしたという歴史がある。たとえば野球の場合だと、投手は変化球を習得するためにひじの関節が曲がるほど投げた。しかも、その曲がったひじを伸ばすために、選手は桜の木の枝にぶら下がって投げたという歴史が残っている。その頃は、どんなに腕が痛くても「痛い」という言葉を口にできなかったから、選手は「かゆい」と言いながらやったんです。

平尾すごい話ですね、それは(苦笑)。

玉木当時はそれだけ非科学的で、非合理的な考え方だったから、猛特訓の結果、つぶれてしまう選手も多かった。ところが、水泳だけは大丈夫だった。なぜかというと、水中では浮力があるから、どんなに泳いでもつぶれたりしなかった(笑)。

平尾なるほど。水泳というスポーツに限っては、日本人的な猛特訓しても体が壊れることはなかったわけですね。

玉木さらに、もうひとつ競泳が強くなった理由があって、実はミュンヘン五輪のころから、日本では「練習時間が多いほどいい」と言われるようになって、実際選手は陸上にいるより水の中にいる時間の方が長いと言われるほど、長時間の練習に取り組んだ。なぜかというと、水にいるときでも陸の上にいるときと同じような考えができなければだめだという考え方があったからです。つまり、競泳という競技は水中を泳ぎながら自分の泳ぎの調子を判断したり、隣の選手のペースを確認しなければならない。ところが、どんな選手でも水の中に入ると環境が変わるから、無意識のうちに自分の意識や思考が変わってしまう。それを克服するためには、できるだけ長く水の中にいる必要があるわけです。だから、日本式の長時間の練習は、この点でも水泳というスポーツには適していた。

平尾いくら練習しても体が壊れない、長時間練習するほど水に慣れる。この2点が、日本式猛練習に適合したわけですね。

玉木そう、それで水泳ニッポンが生まれた。でも、しばらくすると競泳における科学技術………、要するに、どういう泳ぎ方をすれば速くなのかという研究が欧米で進み、日本は世界から離されてしまった。それが今、ようやく日本でも欧米式の練習方法が取り入れられるようになり、世界との差が縮まってきたというところなんです。

 

●プロフィール
玉木正之(たまき まさゆき):1952年4月6日、京都市生まれ。東京大学教養学部中退。大学在学中から新聞で評論やコラムを執筆し、大学中退後、ミニコミ出版の編集者等を経てスポーツライターとして活躍。独自の視点を持ってスポーツ界の問題点を指摘するものの、現状が変わらないために、一時スポーツライターを休止。音楽評論家、小説家、放送作家などに活動の場を移したが、99年に『スポーツとは何か』(講談社現代新書)の出版を機に、再びスポーツについても健筆を振るう。ほかに、『音楽は嫌い 歌が好き』(小学館文庫)、『京都祇園遁走曲』(文芸春秋)、『不思議の国の野球』(東京書籍/文春文庫)、『Jリーグからの風』(集英社文庫)、『平尾誠二/八年の闘い』(ネスコ出版)など著書多数。

 

 
 
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