日本社会は今、大きな曲がり角を迎えている。戦後の繁栄を支えてきた経済が急激な低迷を見せているように、グローバル化社会の中で従来の日本型手法や発想があらゆる場面で行き詰まりを見せている。そうした状況は政治・経済だけでなく、スポーツの場においても同様である。従来、日本のスポーツは一種の国民性でもある繊細さや俊敏さを生かした技術で世界と伍してきたが、体力に勝る諸外国が日本のお家芸でもある技術を模倣し始めたためにオリジナリティを失い、ボールゲームを中心に低迷を続けている。日本経済を支えてきた技術が世界にとって変わられた現象と同様のことが、今、日本のスポーツ界にも起こっている。今回はそうした認識を背景に、日本の経済とスポーツが共に陥っている現象、ディフェンスからいかにターンオーバーの術を探るか、そのための新たな発想とは何か、また日本経済再生のためにスポーツの果たし得る役割とは何かなどについて、経済の専門家である経済産業省通商局長、佐野忠克氏をお招きして語り合っていただいた。

平 尾日本の社会は今、大きな曲がり角を迎えています。戦後の繁栄を支えてきた経済が急激な低迷を見せているように、グローバル化社会の中で従来の日本的手法や発想があらゆる場面で行き詰まりを見せています。こうした傾向は経済だけでなく、実は日本のスポーツ界も同じような現象が見られます。具体的には、日本のお家芸と言われたハンドリング技術や俊敏さを活かした戦術が、ある種諸外国に模倣されて非常に行き詰まっている。そういう意味で、経済もスポーツもそこを脱するための新しい発想が必要なのではないか。日本のスポーツでいえば今の状況は、どのスポーツも守勢に回っている、ディフェンスに直面しているのではないか。スポーツの中には、相手のボールを奪って瞬時に攻撃に転じる「ターンオーバー」がありますが、そういう攻守が瞬時に変わるスピード感というのが非常に早まってきている時代の中で、日本はそのスピーについて行けていないのではないか。そういう印象を持っているのですが、そのあたりを経済のご専門として、どのように思われますか。

佐 野今の「日本経済は守勢に回っているのではないか」という指摘は、全くその通りだと思いますね。今の日本経済をラグビーのゲームに例えると、前半か後半かは別にして、フィールドの中でどちらがどれだけ長くボールを支配しているか、あるいはボールをどう回しているかで見ると、今の状態は全くボールが取れていない、取れないまま相手にいいようにボールを回されているということが言えると思います。確かに90年代のある時点まで、我々がボールを持って回していた時代がありましたが、85年の「プラザ合意」で一種の為替調整が行われたことで、その流れが大きく変わった。大きく変わったことで、一瞬は強く勝っているように見えた日本経済も、実は結果としてバブルを作ることになってしまった。そのバブルが崩壊した時、どのように日本経済のバランスが崩れたかというと、ラグビーで言えば、フォワードの何人かは先に行っているのに、気が付いてみたらバックスとの間がものすごく空いてしまっていた。空いてはいるけれど、戦線としては上がっているから、ゲームとしては勝っているように見える。それが、いわゆるバブルの状態だったわけですが、それが壊れた時、その状態をいち早く立て直し、もう一度ラインを整えようとしている時に相手からどんどん攻められてしまった。その攻められた状態の中で、「フォワードが早く戻れ」「いや、バックスが早く上がるべきだ」という議論を延々とやっている。なぜかと言えば、そこにはきちんとした司令塔がいないから。だから、どちらがどうすべきかが分らなくなっている。それが今の日本の状況だと思いますね。

平 尾明らかにターンオーバーを受けているのに、そこをどう脱したらいいか、どうゲームを立て直したらいいか分らないまま、混乱をきたしているというわけですね。

佐 野そのターンオーバーもラグビーにはないもので、バスケット的ゲームパターンと言えるでしょうね。それでいけば、実はここが本当はタイムアウトの時間なんです。
タイムアウトをとって、「ちょっと待てよ、ここはこういう戦線に切り替えようではないか」と話し合わなければいけない。ラグビーのゲームなら、キックで一度ボールを外に出して、ゲームを切るパターンなんでしょうけど、本質的にはそこで全体をもう一度立て直すことためには、ハーフタイムぐらいの時間が必要なんです。今はその時間がない状態のまま、ずっとゲームが流れて来ているといえるでしょうね 。

平 尾なるほど、タッチでゲームを切るぐらいでは間に合わないと。確かにラグビーという競技ではタイムアウトが取れませんから、誰かけが人が出て倒れている間にレフリーの注意を引き付けておいて、その間にゲームを立て直すより仕方ありませんね(笑)。

佐 野僕らからみれば、経済というものは我々の人生と同じで、その歴史は誰も止めようがない。要は誰が体制を整えるかなんです。実際、90年代には何度となく立て直そうとして、いろいろな人がボールを持って走ってみた。しかし、小泉首相も言っているように、平成に入って13年でもう10人目の首相です。それを指揮官を変えたと見るか、ボールを持つプレーヤーを変えたと見るか……。いろいろなゲームのやり方、捉え方があると思いますが、この場合は新しくゲームを立て直そうとした監督が、13年間の間に10人代わったと思った方がいい。実をいうと、強いチームを作るためには、どういう訓練をして、どういうチーム構成にして、どういうフォーメーションにするかが大切なのですが、毎回、監督が変わっていくから、選手の方もよくわからなくなっている。そういう状態でもあったと思います。

 

●プロフィール
佐野忠克(さの ただかつ):1945年7月10日、神奈川県生まれ。
69年、京都大学法学部卒業後、通産省(現経済産業省)へ入省。通商局通商政策課を皮切りに主に政策畑でキャリアを積む。78年には基礎産業局で鉄鋼産業の通商にも携わる。89年からは通商局で西欧アフリカ中東課長、欧州アフリカ中東課長、産業構造課長などを歴任。93年には総理府内閣総理大臣秘書官、94年には通商政策局国際経済部長、98年には貿易局長、99年には大臣官房長を経て、01年1月より経済産業省通商政策局長を務める。

 

 
 
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