21世紀、スポーツはどのようにあるべきなのか? これからの社会の中で、スポーツはどういう役割を果たすことができるのか? スポーツの将来を語るとき、スポーツという狭い枠の中だけで考えを巡らせていたのでは、発展的な発想は得られない。広い視野をもって社会や時代をとらえていかなければならないだろう。村上龍氏はさまざまなジャンルを題材に精力的に執筆活動を展開し、そのどれもに独自の視点をもち時代の一歩先を見据えている。サッカーやF1をはじめ、スポーツにも造詣の深い村上氏とともに、21世紀の日本のスポーツのあり方について語り合った。

村上平尾さんが日本代表の監督をなさっていたころは、外人の選手が多くいましたよね。

平尾はい。ニュージーランドの選手が6人ぐらいいました。

村上彼らと日本人選手との間に、考え方の違いとか微妙なズレなどはありませんでしたか?

平尾そうですね…。ズレというのはあまり感じませんでしたが、決めごとを作らないで流れの中でゲームを作っていくという外国人選手の感覚を理解できない日本人選手が多かったようです。僕は海外でプレーした経験があるので、多少なりともそういった感覚はわかるんですが、日本人選手は往々にして決めごとがないと不安になってしまうんです。流れの中でゲームを作っていけるチームは理想ですが、日本人選手の中で不安が蔓延したのではいいチーム作りはできません。チーム全体としてのメリット、デメリットを考えて、ある程度決めごとを作りながら外国人プレーヤーの個人技を軸にしていこうと考えましたね。逆に、日本人選手の優位性も感じましたよ。

村上それは、どんな部分ですか?

平尾僕が感じたのは、体内にある目盛りが日本人選手の方が小さいということなんです。

村上体内の目盛りですか?

平尾どういうことかというと、「ちょっと」という言葉がありますね。「ちょっと動いてみろ」とか「ちょっと早くパスを出してみろ」などと使います。当時のキャプテンはアンドリュー・マコーミックという選手だったんですが、彼に「ちょっと早く」というと、1秒ぐらいの単位でとらえるんです。彼にとっては、それが最小の目盛りかも知れない。ところが、日本人選手には0.1秒ぐらいの目盛りがあって、その単位で合わそうとするんです。だから決めごとを徹底して精度を高くするということに関しては、日本人はものすごくよくできる。ただ、先ほども言ったように相手によって状況が変わるという前提のもとでやることに関してはあまり得意ではない。だから、ニュージーランド流に個人プレーを全面に出したラグビーはやりにくかったですね。

 

●プロフィール
村上龍(むらかみ りゅう):1952年2月19日、長崎県佐世保市生まれ。武蔵野美術大学在学中の76年に『限りなく透明に近いブルー』で群像新人文学賞と芥川賞を、87年には『コインロッカー・ベイビーズ』で野間文芸新人賞を受賞。79年に自らメガホンをとり『限りなく〜』を映画化したのを皮切りに、『トパーズ』『KYOKO』などこれまで5作品の監督をつとめる。また、インターネットにも活動の場を広げ、坂本龍一氏とホームページを作成し小説を連載したり、メールマガジンを主宰するなど幅広く活躍。近著に『希望の国エクソダス』(文芸春秋社)、『“教育の崩壊”という嘘』(NHK出版)、『すべての男は消耗品である。Vol.6』(KKベストセラーズ)など。。

 

 
 
Copyright(C)2000 SCIX. All rights reserved.