平 尾少し話がそれるかもしれませんが、数年前に西武の松坂(大輔)投手が口にしてから「リベンジ」という言葉がよく使われるようになりましたね。僕はこれを、いい現象だなと思っているんですよ。というのもリベンジは、失敗したことをレフレクションするなかで、新たに問題の解決方法を探し出して、もう一回チャレンジすることですよね。10年ぐらい前は、そういう言葉が使われていたかどうかは別にして、再挑戦というような感覚はちょっとカッコ悪い感じだった。

今 田敗者の泣き言みたいにね(笑)。

平 尾そう、そう。ところが、「リベンジ」という言葉が出てきてから、再挑戦することがカッコいいようなイメージになってきた。これは、とてもいいことだと思います。

今 田そうですね 。

平 尾つまり、敗者復活が認められているわけですから。人間は誰もが何度か失敗し、その失敗から多くのことを学習して成長していくわけですから、失敗がない方がおかしい。けれど、日本の社会にはそれを真っ向から否定しているようなところがあります。それは間違いだし、失敗から多くのことを学び取るという人間の能力そのものを否定することにつながっているような気がしてなりません。今後、失敗が認められる時代にならないと、本当の意味で我々の能力が発揮されないのではないでしょうか。

今 田そう、リベンジこそ、社会の活力のもと。リベンジ精神は大事です。

平 尾経済学などでも、これまでは「成功モデル」がもてはやされてきました。ところが昨年ベストセラーになった『失敗学のすすめ』(著:畑村洋太郎)では、「成功事例はもういいじゃないか、これからは失敗事例だ」といっている。僕はこの意見が大好きなんです。人がやったことをマネして成功したところで満足感など得られないし、やっぱり僕は自分の方法で成功したい。だから、失敗事例を情報として持っていた方が、ずっと有用なんです。それに、実感として成功事例は「たまたまそうなった」ということのほうが多い。たとえば神戸製鋼が優勝したときのやり方があちこちで成功事例として分析されましたが、僕に言わせれば優勝はたまたまあの時期に、あれだけのメンバーがそろったわけで、計画的にそろえて優勝するなんて無理なことなんです。むしろ、チーム作りがうまくいかなかったとき、試合に負けてしまったときのなかにこそ、活用できる情報がたくさんある。もちろん、成功事例も後から理論的に解釈することでいろいろなことが見えてくるんでしょうが、僕の中では半々です。ゲームもチーム作りも、半分は「たまたまこうだった」ということ。それは、成功事例としていつでもどこでも適応するわけではないんですよ。

今 田なるほど。今おっしゃったことは、“失敗とリベンジによる組織作り”とでも言えそうですね。いわれてみればそうで、成功事例をマネしても、不確定要素があるから必ず成功するわけではないし、あちこちでマネしてるから成功したところでメリットは少ない。むしろ、失敗の事例を調べ上げて、それを避けながら工夫した方が成功へのチャンスは高まるでしょうね。

平 尾そうそう。二番煎じではつまらないし、先ほど言ったように情報化の時代では、新しいものをどんどん作りだしていかなければ勝者にはなり得ない。そのためにも、レフレクション能力を開花させて、先生がおっしゃるような自己組織化をすすめることが必要ですし、またそれを受け入れることができる社会を作っていくことが、これからの課題になりますね。
 本日は、楽しい話をありがとうございました 。

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