スポーツ界のみならず、教育やビジネスの世界でも“個性を活かす”ことの重要性が唱えられている。しかし、個性を活かしながら組織としての力を高めていくという理想的なスタイルを目にすることはまだまだ少ない。一人ひとりの潜在能力を引き出し、個性を活かすことができる土壌をつくるには何が必要なのか。あるいは、組織の中で最大限、自己を活かすためには、自らをどのように変革していくべきなのだろうか。今回は、神戸製鋼ラグビー部の7連覇時代の組織作りに注目し、『脱管理を通じた自己組織化』という論文をまとめられた東京工業大学教授・今田高俊氏をお招きし、これからの時代に求められる組織のあり方と、本当の意味での自己改革について語り合った。

平 尾さきほど「活私開公」のところで、“私”を犠牲にしなければならないなら“公事”はやらないという風潮が出てきたとおっしゃいましたが、それは「いかに生きるか」という個々の価値観にも関わってくることですね。

今 田そうですね。人間というのは、機能合理性を徹底するだけで満足できるわけではなく、意味の自己実現、要するに「意味作用」というのが重要なんです。とくに、これからの社会を考えていく上で、これを無視することはできません。つまり、「Having」という“所有”のレベルでは済まなくなり、「Being」という“存在”レベルまで視野に入れた社会の仕組みが必要になってくる。たとえば、管理されて成果を上げることはできたけれど、疲れ果ててしまい「私の人生は何だったのだろう」で終わってしまったらしょうがない。そこで「Being」ということになるわけです。そして、その部分の関心を満たす議論をしているのが、冒頭でお話ししたニーチェやベルグソンなんです。

平 尾“意味作用”という言葉が出てきましたが、例えばラグビーで言うなら、既成の戦術をきちんと踏襲したところで、それはちっともおもしろくないわけですが、「もっとおもろいプレーを」というのが“意味作用”ということに当たるとも思うのですが?

今 田そうですね。意味作用というのは文化にもつながっていて、オランダの文化史学者、J.ホイジンガは『ホモ・ルーデンス』(“遊撃する人間”の意 )という著書の中で、「文化は遊びの中で始まり、はじめのうち、文化は遊ばれた」といっている。遊ばれなければ新しい文化というのは出てこないんです。一見、遊びというのは、何の役にも立たず、薬にもならず、成果も期待できないため、「残余」として位置づけられてきたけれど、ホイジンガはそれは「残余」ではなく、遊びの中にこそ新しい文化の創造という芽があるといっている。先ほど話題にのぼった枠に収まらない人間というのは、いわば遊び性の領域にいるわけです。効率とか合理性ということに視点を置けば、「真面目にやらずに、何をやっているんだ」と見られてしまう。そこを、今後、どう見直していくか。そこに遊び性の理論を組み込むために、“意味作用”ということを考えていかなければいけないと思っているんです。

 

●プロフィール
今田高俊(いまだ たかとし):1948年4月6日、兵庫県神戸市生まれ。
東京大学文学部社会学科卒、同大学大学院社会学研究科博士課程修了。東大文学部助手を経て、'79年より東京工業大学工学部助教授、'88年同大学教授、'96同大大学院社会理工学研究科教授となる。専門は社会システム論、社会階層研究、情報社会論。現在は、システムが自力で自らの組織を変える「自己組織性」をテーマとした研究を行っている。著書に『自己組織性−−社会理論の復活』(創文社)、『複雑系を考える―自己組織性とはなにか』(共著、ミネルヴァ書房 )、『意味の文明学序説―その先の近代』(東京大学出版会)など多数。

 

 
 
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