長引く不況の中、企業スポーツは厳しい状況に立たされている。一企業がスポーツチームを所有するというこれまでの在り方は限界を迎え、転換期を迎えている日本のスポーツ界は、今後どう変わるべきなのだろうか。社会人野球とプロ野球を経験され、現在は野球に限らず幅広いジャンルのスポーツの現場で取材活動をしている青島氏と、日本のスポーツが置かれている現状や今後について語り合った。

青 島こういう時代になって、どうやって企業に支援してもらうか新しい形態を考えたときに、とりあえずみんなアマチュアになってからプロとしてやっていける人はプロになるという形がいいんじゃないかと思いますね。

平 尾なるほど。

青 島まずは、まったく企業のサポートを受けずに、経済的なバックボーンはそれぞれ自分で確保して余暇にスポーツに打ち込むというところにみんな戻ってみる。そのうえで才能のある選手やチームは、企業などから支援してもらえるようにする。例えば、才能を認められた選手は、個人的に企業と契約して100万円づつでも数社から支援してもらえれば、働かなくてもそのお金で生計を立ててフルタイムでスポーツができるようになるかもしれない。スポーツというのは、基本的には好きだという気持ちが動機となって、自分の余暇を使い趣味の範囲で始めるのが原点だと思います。だから、いったんその原点に戻ったうえで、スポーツを生業にしたい人は才能を認めてくれるスポンサーを探して支援をしてもらう。例えば、スケートの清水君がNECと、柔道の田村(亮子)さんがトヨタと契約するように。つまり、才能のある人はフルタイムでスポーツに打ち込めるけれど、そうでない人は別のところで生業を確保するということですね。

平 尾それが自然な形なのかもしれないですね。

青 島大変だろうけれど、スポーツ選手はあまりにもその辺のことを考えないできてしまったんじゃないでしょうか。これまでは、就職することがそのままスポーツをフルタイムでやっていけることだった。でも、それはやっぱり甘えです。昔はそんな甘えがまかり通っていたけれど、こういう時代になったら無理です。だから、何を仕事にしてどうやってスポーツをやっていくかということを自分自身で考え、進むべき道を選ぶようにならないと。例えば、「オレは役所に勤めてやっていく」ということを選んだならば、その持てる時間と経済力の中でスポーツに取り組んでいく。そして、その環境で実力をつけて「もっと上を目指そう」と考えたときに、役所にいたのでは無理だと思えば、必要とする環境を求めて職を変わることを自分で選択していくわけです。昔は終身雇用が当たり前だったから会社を変わることは難しかったけれど、今はそれができる時代です。

平 尾そうですね。

青 島こういった話は、これから社会人になってスポーツをやっていこうと思っている人たちに対してとても厳しいことだけど、どうやってご飯を食べていくのかを考えておかないといつでも企業から切られてしまうということを言っておかなければならないと思いますね。実際、そんな事例はたくさんある。ある日突然「廃部」と言われて、会社にも残れないということが。

 

●プロフィール
青島健太(あおしま けんた):1958年4月7日、新潟県生まれ。
春日部高校から慶応大学を経て東芝へ。強打の大型三塁手として活躍した後、ヤクルトスワローズに入団。とくに、'79年に東京六大学秋季リーグでは、1シーズンに6本塁打、22打点という新記録を樹立。'83年には社会人野球都市対抗優勝、オールジャパンにも2回選出される。'85年にヤクルトスワローズに入団すると、対阪神戦で初打席初ホームランの快挙。'89年に退団後、日本語教師としてオーストラリアに赴任し、帰国後はスポーツライター、キャスターとして活躍。

 

 
 
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