長引く不況の中、企業スポーツは厳しい状況に立たされている。一企業がスポーツチームを所有するというこれまでの在り方は限界を迎え、転換期を迎えている日本のスポーツ界は、今後どう変わるべきなのだろうか。社会人野球とプロ野球を経験され、現在は野球に限らず幅広いジャンルのスポーツの現場で取材活動をしている青島氏と、日本のスポーツが置かれている現状や今後について語り合った。

平 尾今日は、日本のスポーツ界についていろいろお話をうかがっていたいと思いますが、青島さんのご出身でもある社会人野球でも、名門チームの休部や廃部が相次いでしますね。

青 島正確な数字ではないんですが、我々がプレーしていた80年代でもおそらく200近い企業チームがあったと思います。しかし、現状は100チームを下回っているということで、20年の間に半分ぐらいに減ったと聞いています。さらに、これからも減っていく傾向にあるでしょうね。

平 尾野球だけでなく、企業スポーツはどこも厳しい状況のようですね。

青 島思えば、僕や平尾さんがプレーしていた時代は、先輩たちが頑張って作り上げてきた企業スポーツというシステムの最も充実していた時期だったのではないでしょうか。僕は、とてもいい時期に野球をやらせてもらえたと思いますね。ところが現在は、企業がスポーツチームを持って選手を抱えて応援するというシステムそのものが、時代に合わなくなってきた。経営面から見ても、スポーツチームは無理のある存在になっていて、機会があれば違う形態にしたいとか、あるいは終止符を打ちたいと思っている企業が多いようです。

平 尾そうですね。間違いなくそういう方向に進んでいますね。野球の場合は都市対抗野球などアマチュア大会が行われていますが、その上にプロがあって、社会人野球は野球というスポーツの最高峰ではありませんよね。最近ではさらにメジャーリーグという存在が出てきた。頻繁に放映されるメジャーリーグを見ることで、野球ファンの目は肥えてくる。質的なことも含めて、社会人野球を取り巻く環境は非常に難しいところにありますね。その点、ラグビーは国内では社会人リーグが最高峰なので、野球に比べれば少しいい状況のようにも思います。プロリーグが発足すれば社会人ラグビーは衰退するかもしれませんが…。

 

●プロフィール
青島健太(あおしま けんた):1958年4月7日、新潟県生まれ。
春日部高校から慶応大学を経て東芝へ。強打の大型三塁手として活躍した後、ヤクルトスワローズに入団。とくに、'79年に東京六大学秋季リーグでは、1シーズンに6本塁打、22打点という新記録を樹立。'83年には社会人野球都市対抗優勝、オールジャパンにも2回選出される。'85年にヤクルトスワローズに入団すると、対阪神戦で初打席初ホームランの快挙。'89年に退団後、日本語教師としてオーストラリアに赴任し、帰国後はスポーツライター、キャスターとして活躍。

 

 
 
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