SCIXコーチインタビュー【第五弾】HIROYUKI KONDO
ラグビーをはじめたのは高校1年から。母校である明石清水高校は、いわゆる強豪校ではなかったが、身体能力の高さはすぐにラグビー関係者の目に止まることとなる。ラグビーをして2年経たずに高校日本代表候補に選出。立命館大学で2年時から不動のLOとして活躍した後、2007年4月、神戸製鋼コベルコスティーラーズの一員に。チーム内の日本人選手で最長身となる193cmを誇り、ラインアウトの核として期待をされたが、度重なる怪我があり、2012年3月、ジャージを脱いだ。そして今年6月、SICXコーチに就任。現役時代に汗を流した灘浜グラウンドで、新人コーチとして日々、奮闘中だ。
原点はラグビーの楽しさを教えてもらった高校時代

──近藤コーチは高校からラグビーをはじめたそうですね。

kondo近藤:中学までは軟式野球部でピッチャーをしていました。だけど肩を痛めてしまって、途中からファーストへコンバートされたんですが、ピッチャー以外はやりたくなかったので、高校では違う競技をしようと思っていました。姉がバレーボールをしていたことや当時から身長が高かったこともあり、最初に声をかけられたのは、実はバレーボール部だったんです。母校の明石清水高校は、春高バレー(全国高等学校バレーボール選抜優勝大会)に1度出場したことがあり、僕が入部した年から全日本に選ばれたこともある先生が指導することもあって、強化しようとしていた。それで入部することになり、ライトアタッカーとして試合にも出させてもらっていたんですが、昔ながらのスパルタな指導方法に違和感を感じてしまって、結局、半年間で退部届けを提出しました。

──ラグビーとの出会いは?

近藤:バレーボール部を辞めた後です。2学期の修業式の後に友達から練習を見学に来ないかと誘われて、グラウンドに行ったら、顧問の先生二人に左右ガッチリ挟まれて(笑)。それで先生から「格闘技は好きか?」と聞かれ、「ハイ!」と返事したら、そのまま入部することになりました(笑)。かなり無理矢理でしたね。

──どうしても近藤コーチに入部してほしかったんでしょうね(笑)。

近藤:ちょうど僕が入部する前に、ロックをしていた先輩が辞めてしまって、部員が14人だったんですよ。僕が入れば15人になって試合に出られる。先生の熱意に押されて、入部してしまいました。だけど今となっては、ラグビーに出会わせてくれた先生に感謝しています。

──そしてラグビーにハマってしまったと。

近藤:そうですね。入部4日目に市立尼崎高校と練習試合があって、僕をいれて15人のチームなので、試合に出ざるを得ない状況で。ルールを知らないので、先生からは「ボールを持ったら前に走る。ディフェンスはボールを持っている選手にぶつかっていけ」と言われました。その試合で一番印象的に残っているのが、相手のナンバー8が僕の方に走ってきて、バチンとぶつかったこと。僕はタックルの時にバインドすることも知らないので、ただただ当たりにいっただけ。そこでちゃんと止められなかったのが、とても悔しかった。そこからですね、真剣にラグビーをやろうと思ったのは。そのタックルが、ターニングポイントになりました。

──高校の練習はどうでしたか?

近藤:部員数が15人ギリギリのチームで、みんな、高校からラグビーをはじめた選手ばかり。そんな中でBK出身の金岡先生、FW出身の岡田先生のお二人が見本を見せて、基礎をきっちりと教えてくれた。練習も基本的なスキルが身に付くようにメニューを考えてくれていたので、強豪校ではないものの、毎年のようにオール兵庫の候補に選ばれたり、実際に選出されたりする選手がいました。僕自身も2年の時にオール兵庫ジュニアに選ばれ、オール兵庫のセレクションを経験し、自分よりレベルの高い選手と接することが増え、ラグビーの知識をもっと多くしたいと思って、大学や社会人の試合を録画して、何度も繰り返して見ました。高校時代は、ラグビーの楽しさを教えてもらいましたし、自分にとって原点でもあります。

──トップリーグの選手には珍しいと思うのですが、花園(全国高校ラグビー大会)には出場されていないんですよね。

近藤:2年の時はベスト16、3年の時は1回戦負けでした。大学では、強いところでラグビーをしたいと思って、それで立命館大学に進んだんです。ちょうど僕が入学する前に立命館大は同志社大を破って関西リーグで優勝していましたから。大学時代は結局、関西リーグ2位が最高でしたが、高校時代とは違い全国大会に照準を合わせてラグビーに取り組むことができました。社会人では日本一になることが目標。神戸製鋼以外のトップリーグチームからも声をかけていただきましたが、優勝の可能性が一番あると思った神戸製鋼コベルコスティーラーズに入部しました。結局、目標を達成することができず、個人的にも怪我が多い5年間でしたが、試合に出るためには何を武器にすればいいのか、優勝するにはどうすればいいのかなど考え、大学時代からまた一段高いレベルでラグビーをすることができたと思います。

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