平尾実は僕も、似たようなことを感じているんですよ。ラグビーの場合、日本はよく体格のハンディを組織力でカバーすると言われているんですが、実際の局面ではむしろ海外のチームのほうが個を殺して組織としてきちんと一つのところに向かっていくところがあるんです。

佐渡それは僕らの場合と同じですね。

平尾ええ。だから僕は、日本人はチームプレーが上手いというのは誤解で、実は「チームプレーが下手なんだ」と言い続けているんです。なぜ下手なのか、明確な答えはまだわかっていないんですが、僕が感じているのは「チームプレーというのはある一つの目的に対して自分がどういう形でコミットしていくか」ということを考えなければいけないのに、日本人選手はそれが上手くできない。つまり、その力が足りないのではないかということなんです。さらに、日本人は自分と他人との差異を認めることが上手くできない。本来なら、その違いを認めて「自分にはできないけれども彼ならチームのためにこんなプレーができる」という考えを持つことが、チームプレーには必要なんです。

佐渡たしかに、そうですね。

平尾数年前のアンケートなんですが、日本の社長室に飾ってある書画の中でいちばん多いのは「和」という字だったそうです。日本人にはとても好まれている文字だそうですが、その割に「和」のポリシーをわかっている人は少ない。「和」というのは“のぎへん”に“口”と書きますよね。聞いたところによると、のぎへんというのは収穫したものを表し、口は食べるという意味合いがあって、それによって一つの形を作るというのが、この文字の意味だそうです。つまり、異なるものの融合なんですね。実際、「和して同ぜず」という言葉があるように、同じになってしまってはしょうがない。ところが、実際にはみんなで同じことをすうのが「和」だと思っている人が多いんです。

佐渡違いを認めて、良さを引き出して一つにまとまることが、本当の意味での「和」であるはずなのに・・・。

平尾そうなんですよ。ところが、日本では均質的なものには非常に友好的な意識を持つけれど、違うものに対しては違和感を覚えてしまう。たとえばグループの中で、一人だけ貧しいとか、お金持ちだとか、あるいは職業が違うとか。先ほど、佐渡さんが言われたフルートの名手の場合も、日本ではほかの楽団員と違って非常に不真面目で「和を乱す」と非難されてしまうでしょうね。しかも、フルート奏者であるはずなのにフルートが上手いということはきちんと評価されなくなってしまう可能性が大きい。つまり、人と違った個性を持つ彼は、そのままではオーケストラに受け入れられない。だから、ほかの楽団員と同じになるか辞めるかのどちらかです。そうやって、チームを均質的にすることが「和」だと思っている傾向がとても強い。周りの人と違うという部分を認めるという尺度が日本と欧米とではものすごく違うように感じますね。

佐渡そうかもしれませんね。

平尾さっきのビーフシチューに話を戻せば、自分が思っているビーフシチューとはまったく違うものが出来上がったときに、「こんなのはビーフシチューではない」という非常にこだわった考え方と、「こういうのもあっていいかな」という柔軟性のある考え方があるとしますね。それをラグビーに当てはめた場合、チームで何かをするときには自分の中ではいろんな受け止め方をしていたとしても「こういうのも、いいじゃないか」と思えるキャパシティーの広いメンバーがたくさんいないと、チームとしてうまくまとまりません。

佐渡おっしゃるとおりです。

平尾僕はそのキャパシティーが、ひっとしたら日本人の場合は小さいのかも知れないと感じています。だから、何年もかかって「同じ釜の飯を食う」という中ではキッチリとまとまるけれど、たとえば日本代表のような、その場で初めて組むというようなコンバインチームでは力が発揮できない。つまり、そうしたことが苦手なのではないか、と。

 

 
 
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