『オーケストラの鼓動』というビデオがある。客演で招かれた指揮者が、2〜3日という短い時間でコンサートに向けてオーケストラを仕上げていく過程が描かれている。自分が表現したいことをどう伝え、個性溢れるオーケストラのメンバーをどうまとめていくのか。チーム作りをしてきた私にとって、とても興味深い内容だった。そのビデオで見事なリーダーシップを発揮していたのが、佐渡裕氏。現在はフランスとイタリアを中心に、海外で活躍をしている日本を代表する指揮者である。今回は、氏とともに日本と欧米との相違、個性派集団をまとめる統率力などについて、音楽とスポーツというお互いの立場から意見を交わした。

佐渡最近、平尾さんの影響を受けて、よく平尾さんの言葉を借りているんですよ。とくに、「フランスのラグビーはシャンパンのようだ」というのを使わせてもらっています。あの表現はいいですね。

平尾フランスのラグビーは、シャンパンの泡が弾けるようなラグビーをするという、あの言葉ですね?

佐渡ええ、そうです。あれを、仕事の場でも言いまくっています。「フランスのオケ(オーケストラ)はシャンパンのようだ」と。これを言うとフランス人も、ものすごく喜ぶんですよ(笑)。

平尾アハハハ、そうですか。

佐渡この前、サッカーの日本代表がフランス代表に0−5で大敗した試合(3月24日、日本対フランス親善試合)の翌日、うちのオーケストラ(コンセール・ラムルー管弦楽団)の定期演奏会があったんです。その演奏会は僕にとってはシーズン最後の指揮になるので、楽団員に向けてスピーチをしなければならなかった。そこで、「今朝の練習は、機嫌が悪くて悪かった。原因は昨日の夜、サッカーの試合を見たからです」と楽団員の笑いを軽く取ったあと(笑)、次のように言ったんです。「ラグビーでもサッカーでも、フランスのチームは想像もつかないところへボールを出す。また、そのボールのコースに味方の選手がちゃんと飛び込んでいく。そのボールの出方が美しいと思うし、そのボールをさらに次に生かしていこうという姿勢は創造的だと思う。うちのオーケストラの魅力も同じで、シャンパンの泡のように音が弾けるところにある。ただ、その泡がどこに弾けていくのか、弾かせている側がわかっていないのが問題だ。音が弾けるということはすごくステキなことで、きれいなことでもあるので、私は音がどんなふうに弾けたらきれいに見えるかを、今後も考えて音楽を作っていきたい。そのために、もう何年か僕はこのオーケストラの指揮者を務めるので、よろしくお願いしたい」というようなことを話したんです。

平尾すごく、いい話じゃないですか。

佐渡うまいこと、平尾さんの話を使ってるでしょ(笑)。でも、僕は日本人に欠けていて、彼らが持っているのは、いま話した音を弾けさせるような空間のイメージだと、ずっと思っていたんです。

平尾それはみんな、一緒ですね。ラグビーでもその差があるんです。たとえばパスに関して言うと、パスが失敗したときに日本ではほとんどが放り手に責任があるという考えなんです。だから、放り手に対して「よく見て放れ」というような言い方をするわけです。でも、そういう発想のままでは、絶対に世界を相手には戦えない。

佐渡受け手の方にも責任があるというわけですね。

平尾そう。放り手が「ここにしかチャンスがない」というところにパスを出したら、ほかの14人がそこに飛び込んでやる、いてやるという思想がチームの中にできてこないと、チーム力は向上しないんです。ところが日本では、ボールを持って一人で走って、そこにしか放るところがないというスペースにボールを放っても味方がいなかった、という状況になったら「お前どこに放ってるんだ、味方をちゃんと見て放れ!」と怒られる。でも、フランスでは「ほかの14人は、なぜそこにいなかったのか」ということになる。

佐渡その違いは、大きいですね。

平尾そうなんですよ。日本では「取れないところに放ってはいけない」ということになっているから、常に放り手に責任や負荷がかかる。だから、放り手には自由な発想、空間を作るという発想が起こってこない。それが起きてこなければ、そこに飛び込もうという発想そのものも生まれにくいんです。

佐渡ラグビーを通しても、そういったところに日本とフランスの感覚の違いが見えるわけですね。

平尾ええ、その違いのもっとも顕著な例が空間に対する感覚の違いなんだと思います。それに、空間というのは常にあるものではなくて、その瞬間にできたりなくなったりするものなんです。世界的なレベルの試合では、たぶんコンマ何秒というように本当にわずかな瞬間に空間ができる。しかも、トップクラスの選手になると、その空間ができてから気づくのではなくて、たぶんできるだろうという予測のもとに動いている。だから、日本で言われているように、よく見て動いていたら間に合わない。見ないでいても、その空間に飛び込んだり、そこにパスを放ったりできるようでなければ、トップクラスでは通用しないんです。

佐渡そうなると、もう感覚的なものですね。

平尾その通りだと思います。ただ、こういった話をすると、「見なくていいんだ」という解釈をする人が多いんですが、それとは違う。先ほど、型の話の中にも出てきたように、すべてを通り越してあるレベルまで達したあとの話なんです。

 

●プロフィール
佐渡 裕(さど ゆたか):1961年5月13日、京都市生まれ。ピアノ教師だった母親の影響から3才でピアノ、小学生からはフルートを始める。京都市立芸術大学ではフルートを専攻するが、指揮者への夢を追いかけて在学中からアマチュアオーケストラの指揮をこなす。87年、タングルウッド音楽祭で小澤征爾に見出され、レナード・バーンスタインのレッスンを受ける。89年ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。翌年、新日本フィルハーモニー交響楽団との演奏会で、プロの指揮者としてのデビューする。93年からパリのコンセール・ラムルー管弦楽団の主席指揮者を、99年からはジュゼッペ・ヴェルディ・ミラノ交響楽団の主席客演指揮者を務めている。日本では子どもたちへの音楽教育プログラムなどを積極的に行っている。また、今年は6〜7月にかけて恩師レナード・バーンスタインの不朽の名作「キャンディード」の公演を東京・愛知・大阪で行う。最新CDは『サティ作品集・ジムノベディ』(ワーナーミュージック・ジャパン)、著書に『僕はいかにして指揮者になったのか』(はまの出版)がある。

 

 
 
Copyright(C)2000 SCIX. All rights reserved.