村上そもそも「スポーツ」という概念はヨーロッパで発達したんですが、向こうは階級社会だからカタルシスを与えるという側面が必要になったんだと思います。たとえばイギリスでは、サッカーが好きな人の多くは下層階級ですね。それから、ラグビーのウェールズなども炭坑夫がやっていたんでしょう?

平尾そうですね。ウエールズは炭坑の町ですよね。かつてウエールズが強かったころは、炭坑とか製鉄所などで働く人たちによってチームがつくられていた。彼らによってウエールズは支えられてきたわけです。

村上それは素晴らしいことなんですよ。決して、スポーツによって社会への不満をごまかそうとかだまそうということではなくて、余分な摩擦を減らそうということ。もし、今のアメリカの黒人社会や南米の下層階級にバスケットやサッカーがなかったら、国は破綻してしまうかも知れない。そのぐらい、スポーツには力があるわけで、人類が生み出した最も素晴らしいもの、知恵の結晶じゃないかな。

平尾そうですね。しかし実際には、スポーツの持つ力を自覚していないこともあって、うまく活用されてないですね。

村上そうですね。これまでのように、教育的な役割とか企業の福利厚生とか、あるいは集団の結束を高めるというようなスポーツではなく、社会不安を起こさないような、社会を本当によくしていくためのスポーツということを、戦略的に考えるような人はほとんどいませんね。

平尾いないですね。

村上政治家もそういったことにはあまり気づいていないでしょう。整備新幹線には2兆5000億円もかかるんですが、そのお金があったら芝生のグラウンドがいくつ作れるかということを考えないと。これは、“考えた方がいい”などという甘いものではなく、考えなければならない、そうしないと大変なことになると僕は思っているんです。

平尾そう思います。世の中にはスポーツ政策というものがあまり出てこないけれど、出てくるとしても箱ものなんです。大きな競技場を、何百億円もかけて作ったというような。でも、本当に必要なのはその中味で、いかに市民に開放して活用するかということです。しかし、作った箱ものを管理することばかり考えてしまうから、市民と共有するものになってこないという感じがしますね。

村上そのとおりですね。

 

 
 
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