河 野 選手を取り巻く環境ということで言えば、今、日本のスポーツ界ではトップ選手の周辺が変わりつつありますね。象徴的なのが、選手の肖像権の問題です。

平 尾これまで、選手の肖像権はJOCが一括管理していましたが、選手側から「自分の肖像権を自分で使えないのはおかしい」という声が高まったために、一括管理を廃止して新たな形の提案などもありました。でも、それもなかなかスムーズには進んでないようですね。

河 野この先、この話がもう少し進んでくると、「(その選手を)誰が強くしたんだ」という話になってくるかもしれませんね。要するに「育成費」ということで、お金に換算して明確化していくという方向ですね。実際、海外から優秀な選手を呼んでくる場合には、所属先から「育成費を出せ」と要求されるケースもありますからね。

平 尾ラグビーでも、そういうケースが起こるかもしれませんね。

河 野それが進むと、例えば強くて人気のある選手が、自分はお金を稼げるので協会やチームからの拘束は受けたくないといったときに、今後、協会やチームなどから「育成にお金をかけたのだから、その分を返してくれ」という話が出てくる可能性もありますね。もちろん、今すぐにガラリと変わることはないでしょうが。

平 尾
今のようなケースは、すでに企業社会などでも起こり始めていますね。昔は年功序列で同じ年数を勤めていたら給料はあまり変わらなかった。それが今では能力主義になりつつあって、企業のなかで“個人”の扱いが鮮明になってきた。社会的に法的な整備も加わって、個人を認めざる得なくなっている。それとともにスポーツ界も、同じように変わろうとしているような気がしますね。ですから、これまでの態勢とどう折り合いをつけていくか。しばらくは試行錯誤が続くような気がします。

河 野そうですね。それでも、確実に変わりつつありますね。

平 尾先日和解をした、青色発色ダイオードの中村(修二)氏の場合も、社員の貢献を会社どう認めていくのかということですよね。昔は会社に対して貢献したことを認めてくれと主張するケースは考えられなかった。社員も企業の一員として研究に取り組んでいるということで、丸く収まっていたけれど、どうもそういうわけにはいかなくなってきた。そうしたところからも、時代の趨勢を見て取れますね。

河 野そうですね。

平 尾これまでの日本では、“フェア”というのは結果を同じにすること、みんなが平等というものだった。それに対して、アメリカ的な“フェア”は「仕事をたくさんした人には、給料もたくさん出す」というものです。今、日本は徐々にアメリカ的な考え方に、変わりつつあるように思います。

河 野ただ、アメリカの企業や組織においては、「評価されなかったら表に出る」つまり「アップ・オア・アウト」という概念をみんなが共有しているという背景があります。

平 尾昇進したり給料が上がらなければ、その会社を辞めてほかへ移るという概念ですね。

河 野そういう考え方が浸透すれば、スポーツ選手の肖像権とか、中村氏の発明への相当対価をめぐる訴訟などの話は、ある程度はすんなりいくのだと思います。しかし日本は、アップしなくても外に出ることができずじっとしていなければならない環境が、まだあるように感じますね。

 

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