平 尾「組織のために自分を殺す」という表現がよく使われることでもわかるように、日本には自分を活かすことで公的な部分にもプラスになるというような、“私”と“公”の連動を意図的にすることは少ないような気がします。組織を中心にして統一感といったことを重んじるため、個性が抑圧されて、個人のパワーがそこで吸い取られてしまっているように思いますね。だいたい、日本ではマネージメントする人がAという考え方をすると、その組織の人間はみんなAという考え方になる。BとかCといった考え方が出てくると、ややこしくなるからか、排除しする傾向があるんです。だから、反対意見が出ない。もちろんその分、時間的なロスはないだろうけれど、創造的なものとかスケールの大きなものは生まれてこない。日本人は、組織の中に異分子を取り入れるという作業が苦手なんでしょうか?

今 田そうなんですね。やればできるのでしょうが、異分子を取り入れて組織をまとめ上げる仕組みがないので不安なんですね。異質なものを個性と捉え異質なまま残し、うまく関係をつけてひとつのシステムや組織を作り上げるということが必要なんです。ですから私は最近では、組織の管理者に必要な能力を、統率力やリーダーシップとは言わずに「エディターシップ」という言葉を用いています。

平 尾編集能力ですか?

今 田というのも、力のある編集者は個性のある学者や作家を集めて、その個性を殺さずにうまく1册の本にまとめて「なるほど」という形が出るように編集しています。組織やチームもそれと同じで、それぞれの個性をどう編集してまとめ上げると一番パワーが出るかということが大切なんです。個性を削り落としてフレームに入れるというのは、並の管理者ならやれること。そういう低次元のマネージメントではなくて、フレームに当てはまらない人間がいるなら、その能力を活かせるようにその人ひとりのために新たなセクションを作ってあげればいい。

平 尾そうそう、そういう発想が必要ですね。

今 田それで、全体のフレームと新たなセクションをうまく関係づけていく。たとえば、変速行動をする人間をフレームの境界線置くことで、チクチク刺激が与えられてフレーム内にいる人たちとの間に新しい関係ができてくる。

平 尾なるほど。そこで、これまでにない付加価値が発生したりするわけですね。

今 田そうなんです。

 

 
 
Copyright(C)2000 SCIX. All rights reserved.