第5回『SCIXスポーツ・インテリジェンス講座』リポート 7月22日号
この北京五輪でも金メダルが期待される女子ソフトボール日本代表。その代表チームを率いてシドニー五輪銀メダル、アテネ五輪銅メダルと輝かしい実績を残し、今日の女子ソフトボール人気を築いた前代表監督の宇津木妙子氏。1分間に40本という速射砲ノックで選手を鍛え上げ、徹底した守備力で1点を守り勝つ日本型スタイルを世界に認めさせた名監督が、自らの信念として掲げる「努力の大切さ」について語っていただきました。
宇津木妙子氏努力は裏切らない
自分と向き合うことの大切さ
講師:宇津木妙子氏 
ルネサス高崎女子ソフトボール部総監督
女子ソフトボール日本代表前監督

■「努力」はしんどくて、つらいことではない。なぜなら自分を鍛えることだから、自分のためにやることだから、苦しいと思ったことはなかった
「ソフトボールを始めて43年目。常に目的、目標、夢があり、その夢を達成させるために、私の言葉で『努力は裏切らない』を信じてやってきました。みなさんは、努力することはすごくしんどく、つらいことだと思うでしょう。でも、そうでもないんですよ。なぜなら、努力することは自分を鍛えることだから、自分のためにやっていることだから、私は苦しいと思ったことがなかった。もっと上手くなりたい、試合にも勝ちたい、勝って認めてもらいたいからという気持ちで取り組んできましたから、この言葉が自分の中では一番いい言葉だと思っています」
■ 高崎を優勝するチームにするのは簡単だったです。何が簡単だったかとういうと選手たちのやる気です。目標を達成するために、みんなの気持ちを一つの方向に向かせればいいんです
「当事、三部リーグだった日立高崎(現ルネサス高崎)の指導者になったとき、一番最初にやったことはルール作りです。寮生活では挨拶、時間厳守、整理整頓、相手に対する目配りと配慮。お互いの信頼関係、思いやりがないとだめなんだよと。練習ではノックとバッティング練習を徹底しました。そして、今日できなかったことは必ず残って個人練習をする。それを一つのメニューとしてやらせました。そうしたらめきめき強くなり、2年で二部に昇格し、一年目に優勝して一部リーグに上がりました。一部でも優勝するようなチームにするのは簡単でした。何が簡単だったかとういうと選手たちのやる気です。目標を達成するために、みんなの気持ちを一つの方向に向かせる。これだけです。そのためには、レギュラー以外の選手をどうやって活かすか。そればっかり考えていました。中には3年間、用具係をやってくれた子もいましたが、その子がいてくれたお陰で3年間日本一になりました。一人一人の仕事、持ち場持ち場の仕事を全員が理解して果たしてくれたから結果が出せたんです」
■ 選手なんていうのはみんな扱いずらいんですよ。「いい選手」ほど扱いづらいんですよ。みんな「自分」を持ってますから
「アトランタ五輪のとき、全日本のコーチとして行きましたが、そのとき「高崎の選手はまじめだけど、扱いづらい」と言われました。まじめなのはしょうがないけど、扱いづらいというのはちょっと違うんじゃないかな、と。なぜなら、選手なんていうのはみんな扱いづらいんですよ。しかも、いい選手ほど扱いづらい。なぜなら、みんな自分というものを持ってますから。それを聞いて、今度はウチの選手を何人も代表に選んでもらうために、とにかく勝たなければいけないと思いました。そして徹底的に練習して、海外遠征にも行かしてもらい、97年に日本リーグ、全日本総合選手権大会、国民体育大会の3冠を獲ったんです」
■ シドニー五輪でメダルを獲るために、つらいことも、苦しいことも、楽しいことも、全部みんなでやろう
「シドニーへは最強のチームで臨むということで、15名の選手を選んで2週間の太平洋合宿を行いました。このときは午前中3時間、3000本のノックと、午後は1000本の打ち込みを毎日のノルマにしました。選手たちのノートには「このまま続いたら死んでしまう。日本に帰れない!」と書いてありましたが、誰も死ななかったです(笑)。それだけ徹底して練習し、打ち上げのときは、普段飲めない子にも酔っ払うほど飲ませて、カラオケをやりました。(宇津木)麗華なんかまったく歌えなかったけど「歌え!」といって無理やり歌わせました。何でこんなことをしたかといえば、シドニーでメダルを獲るために、つらいことも、苦しいことも、楽しいことも、全部一緒にやろう。「このチームはみんなが一つなんだよ」「みんなが一つの方向へ行くんだよ」ということを理解させるためにやったんです」
■ シドニー五輪の決勝アメリカ戦で、「さあ金だ!」と思ったら震えがきました。がたがた震えて金縛りにあって、ピッチャー交代のタイムもかけられなくなってしまった
「シドニーの決勝アメリカ戦、麗華がホームランを打ってくれて「さあ金だ!」と思ったら震えがきました。リードしたら、直ぐにピッチャーを交代する予定でした。ブルペンでは高山(樹里)が投げていて、交代できる準備ができていた。「よし、行くぞ!」と思ったら、がたがた震えて金縛りのような状態になってタイムもかけられない。その結果、ピッチャー交代もできず、そのまま増淵(まり子)が続投して、同点に追いつかれた。そこで初めて「はっ!」として高山をリリーフさせたんですが、タイブレーカーに突入した8回裏、雨の降り始めた中でパーンと上がったフライを、レフトの選手がグラブに収めながら滑って転んでボールをこぼし、さよなら負けを喫してしまった…」
■ 「あのエラーは一人のものじゃない。みんなのエラーです!」。そう選手に説教されて一人で泣きました。「いいチームを作って良かったなあ」という気持ちで
「アメリカ戦でさよなら負けの後、閉会式に出るため選手たちは一度ロッカーに戻りました。みんな泣きながらジャージーに着替えてました。そんな中でエラーをしたレフトの選手だけが、トイレの中で泣きじゃくって出てこない。たまたまウチ(高崎)の選手で、私がいつも叱ったり、怒ったりして使ったりしている子だったんです。だから、そのときもいつもの調子で「いつまで泣いてるんだ!」とやってしまった。そしたら、ほかの選手がパッと集まってきて「監督、あれはあの子のエラーじゃない! みんなのエラーです!」「このチームを作ったとき、監督は何て言いましたか!」と。「うるさいー! 早く閉会式に行け!」。そう言って選手を追い出した後、私は一人で大声を出して泣きました。選手に説教された恥ずかしさと、いいチームを作って良かったなあという気持ちで…」
■ アテネ五輪で銅メダルに終わった後、何が原因なのか一生懸命考えました。シドニーの前と後、何が変わったのか。それは私自身が変わってしまったんですね
「アテネが終わった後、何が原因なのか一生懸命考えました。シドニーの前と後、何が変わったのか。それは私自身が変わってしまったんですね。シドニーの前は選手がミスをすると「なにやってんだー!」とぽんぽん怒鳴るほど必死だった。それが、テレビが毎日来てカメラがいつも回るような状況になったら、どこかカッコつけるようになってしまった。シドニーを経験した選手が7人も残っていたので「その選手たちがやってくれるだろう」という安易な気持ちもあったし、準備不足もあった。シドニーの選手たちは100日ぐらいの合宿をして、海外遠征も含めると136試合もしたのに、アテネの選手たちはSARSの影響もあって13試合しかできなかった。これでは試合の中で動けないし、監督が何を考えているか分からないですよ」
■ どうやってやる気を出させるか、選手の性格から家庭環境まで分析し、選手個々のいいものを生かしてやることが一番大事です
「どうやってやる気を出させるかは、選手個々のいいものを生かす、これが一番大事です。そのために選手たちの分析をしてあげる。私は高崎の指導者になったときから、選手たちに朝起きたら脈、体温、体重を測らせ、その日の目標を日記に書かせました。そして一日の終わりにはちゃんと目標を達成できたか、できなかったとしたらなぜなのかを書かせました。私はそれを個人カードにまとめ、選手の考え方、どういう気持ちで練習に取り組んでいるか、性格、血液型、県民性、学校の先生の性格まで全部書いて、個人の分析をしました。シドニーの選手たちのときには、お風呂に2時間半ぐらい入り、次から次に入ってくる選手たちと、いろいろな話をしながら選手の個性、性格をつかむ努力をしました」
■ 「おはよう」の挨拶から会話は生まれるんです。分かってる、知ってるつもりだからはいりません。ときには厳しく叱る勇気を持って子供たちと向き合って欲しいんです
「みなさんは自分の子供が毎日、どんなことを考え生活しているか分かりますか。私はいつも選手たちと「おはよう」の挨拶から始めますから、すぐに分かりますよ。挨拶の声に元気がなかったら「どうしたんだ?」「ええ、ちょっと…」。そういう会話です。そこから会話が生まれていくんですよ。簡単で当たり前のことでしょう。その簡単なことをしてあげて欲しいんですよ、子供たちに。特に指導者のみなさんには、もっとやって欲しい。自分は分かってるから、知ってるつもりだからはいらないです。人間は大人でさえ、つらいな、苦しいな、逃げたいなと思うことが何度もあります。まして子供たちはもっと弱い。だからきちんと向き合って、ときには「これはいけないんだよ」と、厳しく叱る勇気も持って接して欲しいんです」

(6月14日:毎日インテシオ大会議室での講演より)