先生はコーチの役割について、「プレーヤーの目的を尊重し、こく的達成のために最大限の尽力を行うことである」と、書かれていますね。

勝 田はい。“コーチ”の語源は「四輪馬車(coach)」にあり、次第に家庭教師や大学の教師などにも使われるようになったわけですが、双方に共通しているのが「目的を持った人を運ぶ、導く」ということです。「コーチとは何か」ということを考えたとき、このコーチの語源に役割を見いだすことができます。つまり、「目的を持った客を目的地まで確実に運ぶ」こと。ここで大切なのは、目的地を決めるのは客であり、コーチが決めたり勝手に行き先を変更したりすることはないということです。同時に、目的を持たない客は乗せることができない、導くことができないということにもなります。ですから、コーチだけでなくスポーツを行う人も、「コーチ」の意味を意識してコーチと関わって欲しいと思っています。

今の話は、コーチとプレーヤーの関係を考えることにもなりますね。さらにコーチがプレーヤーにいかに向き合うかということに言及して、「個人的な思い込みだけで、スポーツの価値をプレーヤーに押しつけるような指導者であってはいけない」と書かれています。つまり、コーチのスポーツ観が問われているのだと思いますが…。

勝 田そうですね。私は「独りよがりでないスポーツ観」をしっかり持つことは、コーチの基本的な使命だと考えています。それは容易なことではありませんが、自分の思い込みだけでスポーツの価値をプレーヤーに押しつけるようであってはいけないと考えています。たとえば「スポーツは勝たなければ意味がない」とか、あるいは「勝負にこだわらず、楽しめればいい」とか、いろんな考えがありますね。でも私は、「それはコーチが決めることではない」と思っています。そのスポーツを通してプレーヤー自身は何をやりたいのか、ということが優先されるべきで、それをないがしろにして「スポーツとはこうあるべきだ」と押しつけるのは「独りよがりのスポーツ観」ではないでしょうか。つまり、主体がどこにあるかということですね。

 

「勝たなければ意味がない」という言葉がありましたが、とくに競技スポーツにおいては「勝敗」をどうとらえていくかが重要になってきますね。

勝 田そうですね。勝利を目指して努力したり挑戦し続けるところに、競技スポーツのおもしろさ、すばらしさがあります。もし、勝ち負けをなくしたり軽いものにしたりすると、おもしろくなくなります。ですから勝ち負けは非常に大事なのですが、負けたからといってすべてが否定されるものではないんです。ところが、トランプや麻雀で負けるのとは違って、競技スポーツの場では、敗戦がその人のすべてを否定するようなところがあります。指導者の「スポーツは勝つこと意外に価値がない」という考え方に問題があると思いますが、それだけでなく、「勝つことは善であり、負けることは悪である」というような日本独特の風潮も影響しているのではないでしょうか。おそらく、日本ではスポーツを精神修養や教育的な手段としてとらえてきた側面が強いため、そのような考えが生まれてきたのでしょう。しかし、本来スポーツというものはそれ自体を楽しむものなんです。

本の中にも、「スポーツは、人々の楽しみのために生まれた文化である」と記されていますね。

勝 田はい。スポーツとは、生活を充実させるために人間の手によって創り出された文化なんだと認識してます。ですから、コーチはスポーツ文化に寄与するためにも、スポーツを文化としてしっかりと考えながら携わるべきだと思っています。つまり、豊かな文化に携わっていることを認識し、自分自身が豊かになるようにすること。簡単に言えば、「自分が幸せでなければ、幸せな指導はできない」ということなんです。

いいコーチの条件ですね。

勝 田そうですね。コーチをしていることを幸せだと思える自分がそこにあるかどうかということが、一番大事なのではないでしょうか。第一章を読み進む中で、そういったをじっくりと考えていただければと思っています。

第1章【終】

 

 
 
Copyright(C)2000 SCIX. All rights reserved.